永井陽子さんの「詩線」について書き進める

 秋の空に白い雲が浮かび、葉を落とし続ける落葉樹の枝のあいだからしみじみと眺めた。この風景は晩秋から冬へ季節が変わりゆくときの、うつろいそのものである。明日は少し違う風景になり、ついにはすっかり落とした木々の向こうに冬の空がきーんとひろがるのだ。

 近所に買い物に行く以外はほぼ家にいた。実は夕方、いつも行く駅前のカフェに行きたかったのだが、電話が立て続けに入り、行けなくなった。

 家にはいたが庭に出て、柿の落ち葉を掃き、ゴミ袋に集めた。これで4袋目である。

庭のあちこち、駐車場の掃除もした。掃き寄せた落ち葉は庭に掘った二か所の穴に放り込んだ。着々と冬支度をしている。こういう晩秋をあと何回過ごせるのだろう。晩秋の空気感、光や空、雲・・・・・すべてが好きだ。落ち葉を掃く音も好き。朝、庭に落葉が敷き詰めているのを眺めるのも好き。柿落葉の手触りも好き。しっかりと固くて、夏の暑さに耐えた、そんな感じがある。

 最近、再会した友だちにラインを送った。鎌倉でお土産を買ってきたことと、保護犬の飼い主を探していることを伝えた。友だちの住むマンションの住人で犬を飼いたいと言う人がいるとかで、その犬の写真を送ったらすぐその人に送ってくれたが、大きさがほしい犬とは違うとことわられた。マンションの場合、エレベーターで抱けるサイズの犬を条件にするところもある。

 なんかことわられた犬が不憫になった。いや、もっといい飼い主さんがきっといる。大丈夫だよと伝えられるなら伝えてあげたい。

 昼食後は居間の炬燵の上に置いたパソコンで、文章を綴った。歌人、永井陽子さんが友人の詩人とともに発行した同人誌「詩線」を何回も読むうちに気が付いたことを書いた。

 まだ書き始めたばかり。どういうストーリーにするか。文章を書くという行為はたとえ資料をもとにしても、想像力を羽ばたかせなければ成り立たない。想像力を働かせるのは楽しいし、資料がその想像を裏打ちしていると思えばなおさら想像することが楽しくなる。

 朝方ラインを送った友だちから返信がない。すぐの返信を期待していなかったのでそれはそれでいいと思えた。

 夕方近く、いつもの駅前のカフェに行こうと支度をはじめたら電話が鳴った。別の知人からの電話でしばらく話した。電話を切るとこんどはライン電話が。朝方ラインを送った相手からだ。出るとすぐ電話でかけ直すと言った。すぐまた電話があり、15分ほど話したが、会社に帰るところでまた会社に着いたら電話をすると言って切った。

 それから電話がないので、会社で想定外の仕事が待っていたのか、それで大変だったのかと思いめぐらしている。