朝から青空が広がり、陽ざしは強い。日中の気温は昨日より高かそうだ。
朝7時ころ、資源ゴミをもって集積所に行き、帰ってきたとき玄関先に紙袋を見つけた。中を見ると、犬用のおやつ(鶏肉のジャージーなど)が二袋入っていた。「ももちゃんへ」と袋に紙片が貼ってある。
かなり朝早い時間に家に来てくれたようだ。思い当たる人はだたひとり。
すぐには電話せず、朝食を食べひと段落ついてからお礼の電話をした。友だちとはももこの散歩の時に知り合った。友だちも柴犬の老犬(女の子)を散歩させていて、よく一緒に歩いた。
より年上で足元がおぼつかないももこに散歩のコースや長さを合わせて歩いてくれたこともあった。大丈夫かな、ももこちゃん。ももこの足どりを見て心配してくれることもあった。そんなやさしい友だちは、歩けなくなったももこが家の駐車場でおしっこをしたり、用を足した後にくつろいでいた時に通りかかり、よく話しかけてくれた。
最後の日の朝、自分の犬の散歩の途中にわが家に寄り上がってくれて、ももこの様子を見てくれた。ももこの寿命が尽きかけていることを電話でわたしが話したこともあるかもしれない。
その日の午後にももこは息を引き取ったのである。友だちは朝見たとき、ももこの目に何かを感じたと言った。
こんなことを思い出しながら、命日の一日がはじまった。
5年前のこの日を思い出しつつ、5年後の今日を生きた。
昼食後、久しぶりに歌人、永井陽子さんが親友の詩人と発行し続けた同人誌「詩線」のコピーを読んだ。「詩線」に見る永井陽子の表現活動について文章をワードで書き、そのままになっていたものを今日は最後まで書いた。
「詩線」のコピーを読んで、さらに何が書けるか、何を書きたいか、思いをめぐらせた。いくつかのアイデアが出た。もっともっと書けるはずなので、読み込んでいきたい。
「詩線」を資料として読みながら、さらに新しい資料を発掘していきたい。新しい資料を読むことで、「詩線」という同人誌で発表された作品の新たな意味に出会えることもあるだろう。
深く掘り下げつつ、広く視野を保って、永井陽子さんに少しでも近づきたい。