掘り炬燵を出して、永井陽子さんの資料を読み込む

 一日中、雨が降ったり止んだり。肌寒い。

 そろそろかなと思い、掘り炬燵を出した。床下に炬燵のやぐら部分を収納してあるので、半畳の畳をとりのぞいて炬燵を出した。 

 納戸に収納したヒーターを床下に置いて、やぐらに炬燵布団をかぶせ、炬燵カバーもかぶせ、天板のせてを出来上がり。

 水害に被害にあう前までは掘り炬燵を出すとき、父母や犬たちを思い出したが、水害でどういうわけか時間が途切れた。掘り炬燵を出しても前と違う感じがある。昔を思い出すことが少なく、たんたんと作業をすすめた。掘り炬燵に落ちてパニックになった晩年の柴犬レオ。掘り炬燵をしまう作業に興味深しんしんだった老犬ももこ。父母がいる時は、父とわたしとで掘り炬燵を出す間、母は別の部屋で作業を見ていた。こんな思い出があるのだが、今ブログを書きながら思い出している。

 掘り炬燵とエアコンであたたかくなった居間で、歌人、永井陽子さんの資料を読んだ。永井さんが友だちの詩人、大西美千代さんと作り上げた同人誌「詩線」をコピーしたものだ。読めば読むほど発見がある。

 居間では短い昼寝もした。エアコンをつけると障子を閉めて庭が見えなくなる。庭を眺めることができない居間はどこか寂しい。5月ころから10月の中旬近くまで障子を開けて庭を見ながら居間で過ごした。これから約半年の間、障子を閉めて過ごすことになる。

 夕方、バスに乗って等々力駅前のカフェに行った。バスが左折するときに、窓から三階建ての家の窓にハロウィーンのシールが貼ってあるのを見た。今年はじめてのハロウィーンとの出会いだ。

 カフェでこのハロウィンとの出会いをラインのキープメモで短歌にして自分あてに送ると、背景の画面にハロウィンの動画が流れる。これが面白くて、8首のハロウィン短歌を詠んでみた。ハロウィンという言葉に反応して動画が流れるが、かぼちゃでは流れなかった。

 帰りは電車でいちばんよく使う最寄り駅に出た。駅前のスーパーマーケットにはハロウィンのブーケが並び、駅前の洋菓子店のウィンドウにはかぼちゃの絵が描かれていた。

 ハロウィンのいちばんの思い出は、30年ほど前になる。脳梗塞で入院していた母に友だちがキャンデー入りのハロウィンのかぼちゃをくれた。お母さまに、と。ハロウィンは日本ではまだあまり知られていなかったが、長いアメリカ在住生活を体験した友だちはハロウィンをよく知っていた。母はとても喜んだ。母もその友だちももうこの世の人ではない。