老犬ももこにつながる花束をもらって

 連休最後の日。5月5日はこどもの日。天気はあまりよくない。

 朝は陽ざしがでたがすぐ雲が多くなり、風が強かった。小雨がときどき降った。

 午前中は家にいて、パソコンに向かい、国会図書館のデジタル図書館で「短歌人」という雑誌のバックナンバーを見た。歌人の永井陽子さんが18歳から会員になった短歌の

グループで、作品の発表の場が「短歌人」である。

 1951年生まれの永井さんが短歌人に参加したのは1969年からだろうとあたりをつけて、バックナンバーを検索した。 

 1969年から1971年の短歌人には永井田陽子さんの名前は出てこない(名前が出てこないにしても作品の発表はあると思うが)。年譜によると1972年に短歌人新人賞を受賞している。この年から(1972年)から、「短歌人」誌上に永井陽子さんの名前が頻繁に出てくる。作品発表は名前が明示され、1ページで紹介される。「短歌の土壌」というタイトルで,現代短歌論らしき5回連載もある。このグループのなかである地位を確立したのであろう。

 国会図書館は5月6日より開館するので、デジタルで短歌誌の内容を見て、必要なものはコピーをとることにした。

 昼食後しばらくして、いつも夕方に行く等々力駅前のカフェにバスで行った。1時間半ほど歌集を読んだ。梅内美華子さんの歌集、若月祭(みかづきさい)である。

 帰りは駅前のスーパーマーケットで夕食のための買い物を少しして、歩いて帰った。

 家に帰ってから、弟が珍しく声をかけてきた。紙袋を手にして、散歩の途中でわたしに、と手渡されたとのことだ。なかを見ると、白黒のしゃれた薄紙に包まれて、白いバラと黄緑のコニファーの花束があった。

 Rという犬を連れていたという。誰だかすぐ思い当たった。

 同じ花束を老犬ももこがこの家に来た2015年の今と同じころにもらったことがある。あの時は保護犬である老犬ももことの生活に向けてがんばってやお幸せにの気持ちをこめてもらったと思った。

 弟には柴犬レオの命日が5月だったと思うので、と花束を託したようだ。そうか。6年前もレオの命日のために花束をくださったのだろうか。

 いまとなってはわからない。ただ、6年前の白いバラの花束は老犬ももことわたしに向けてくれたものと思いたいし、思っている。ももことの生活を祝福してくれたように感じ、すごくうれしかったから。

 花束をしみじみと見て、ももこを思って泣いた。

 

今日の日の栞のごとく珈琲のしみにじみたる梅内美華子

 

梅の木に作りそめたる蜂の巣を剥がせばうすき煎餅に似る

 

ここまでを何日かけて作りたるか蜂の巣取らるる蜂の嘆きは

 

f:id:leoleoleoya:20210505055700j:plain