今年の柿の絵を描いた

 午前中は雲っていたがまだ雨が降っていなかったので庭仕事を少しした。家の中で本を読んで過ごそうと思ったがじっとしていると死んだ犬のことを思い出し気持ちが落ち着かなくなったため。
 駐車場の後ろに植えたトゲトゲの柚子の木を一本剪定した後、切った枝をゴミ袋に集めるまでやって小一時間かかった。軍手をしていたが枝に付いた棘が突き刺さって血がにじんだ。裏庭の柿の木を見上げると柿の実は5本指で数えても指があまるくらいしか見えず,そのほとんどが鳥にかじられていた。見上げる場所を変えるとかじられていない実をいくつか、そのうちの2個を高枝鋏でとった。絵を描くためと、仏壇にお供えするためである。
 柴犬レオがこの家にいる時は柿のまえ実の絵を描かなかったがレオが死んでから毎年描いてきた。老犬ももこがいた昨年の秋も2枚くらい書いた覚えがある。今年は昨年はいたももこを偲びながら描きたいと思った。ももこ、今年の柿の絵はどんな風に描けるかな。
 食事をするとき使う居間のテーブルに柿の実をセッティングしたので動かしたくなく、お昼ごはんは仏間で食べた。以前も一度こういうことがあって、そのときは柿の木のある庭を眺めながら食べた。今日はテレビを見ながらの食事だった。
 午後も居間で柿の絵を描いた。描きながらももこのことを思い出し、泣き出してしまった。食べたものを全部吐き戻しのが5月初めで、点滴をするようになってから6月くらいまでももこは歩いていた。家の前の道路だけでなく、家から川沿いに出てマンションの前を通る道(よくももこが歩いた散歩コースを一回だけ歩いたことがあった。がんばって歩くももこを見て、もしかしたら持ち直したのかもしれないとかすかな希望が兆したことあった。その時のことを思い出し、涙がとまらなくなった。家の建物の周りをどういうわけかももこが歩こうとしたことも思い出すと泣けてきた。ももこがこの家に来たばかりの頃、自分のテリトリーに匂い付けをする意味もあったのだろう、よく建物の周りを歩き、用をたした。自分の死期が近いことを感じたももこのテリトリー意識が強くなったのかもしれない。またはこの家に来たばかりの頃を思い出して、この家はわたしの家よと思ったのかもしれない。この思い出も涙を誘った。
 しばらく泣くと気持ちがおさまり、また絵を描いた。今年の柿の絵はこんなふうに描けたよ、ももこ。

大西民子さんの

 「してやらむこと何もなく名を呼びて水を替へたる花籠を置く」の上2句をそのままつ使わせていただいた

してやらむこと何もなく線香をくゆらしながら遺影を見つむ

 犬ねむり父母ねむる家のなか紫煙たなびきよき香りがす