ゴーヤの絵を描く

 今日も朝から過ごしやすい気温。エアコンは入れずに扇風機も庭の掃除をしたりして汗をかいたときだけ使った。
 老犬ももこがこの家にいた最後の夏に花壇に植えた日日草の種を採り、夏ごとに種を蒔いて継いできた日日草が今朝花開いていた。
 濃いめのピンク色の花底がさらに濃い赤の花だ。今年買った日日草の花はぜんぶ花底が白である。白と花色とのコントラストがはっきりしている。赤い花底の日日草を見て歳月の流れを感じた。
 今年の5月に種を蒔いて育てた百日草もいままで育てていた花とガラッと花の色や模様が変わって驚くと同時に寂しい思いもした。ももこがいた頃に咲いていた花とは違うことが時の流れを語っているような気がした。
 今年の花壇はなつかしい花、新しい花がわたしの思いとは関係なく咲いている。どの花も咲いているのを見れば愛しくなる。
 昨日友だちにもらったゴーヤの絵を描いた。実は昨日中に鉛筆スケッチをして、今日色付けをした。もらったときから緑のいぼいぼの一部に黄色い所があり、成熟が進んでいるのが見て取れた。今朝まで外に出しておいたらますます黄色いところが増え、慌てて色付けをしたのである。
 絵を描いたあと縦に割ったら、中の種はオレンジ色のわたに包まれ、破裂寸前だったかも。

 青柿の見ゆる柿の木ミンミンや油蝉らが交りあひて鳴く

 月を背に帰りの道を歩きたり月の光に背を押さるるやうに

 盈虚のさま犬とともに見し頃を思い出しつつ夜道を歩く

 夜の道中空の月を目に追へば届かぬ何を願いているか