夏至を過ぎて

 いつのまにか夏至を迎え、いつのまにか過ぎていた、今年はそんな感じ。昨年の夏至は亡くなったばかりの柴犬レオで心も頭もいっぱいで、苦しく辛い時期だった。日の長い一日が辛さをよけいかきたてた。明るい夕暮れ、外に連れていくレオがここにいないことの辛さに息もできないくらいだった。
 だが今年はレオがいないことは寂しく、不意打ちのように鮮明に思い出し、号泣することもあるがあの辛さは薄れた。
 今日は夏至の翌日の日曜だが、早朝は雨足が強かった。朝早く起きた耳に、雨音が響いた。その後雨は一時止んだが日中も小雨が断続的に降っている。
 ここ5〜6年、毎年のことだが弟が梅酒に漬ける青梅を取りに来る。雨の合間に脚立に上り、2本だけ残っている梅の木から梅の実をもぎとった。大粒の梅は熟した色に変わっているので、なるべく青い梅を選んだ。長いレインコートを着て、葉っぱに付いた雨でずぶぬれになるのを防いだ。収穫した梅から梅酒や梅ジュース用に、青梅2,5キログラムを袋に取り分けた。
 午前中早い時間に弟はやってきて、父母の仏壇にお線香をあげ手をあわせた。6月初めに梅を漬けて、出来たばかりの梅ジュースを氷と水で割って弟に出した。氷砂糖と米酢少々、青梅1,5キログラムほどをガラス瓶に入れておいたものだ。梅エキスがたっぷりとしみ出して、皴しわになり種だけになった梅の実を今朝取り除いたところだ。
 レオの命日にあわせて作った「6月のレオ 2006〜2013」というタイトルの写真アルバムを弟に見せた。元気なときから少しずつ衰えていくレオ。四本の足でしっかり大地に立ち、しっぽが腰の方に上がっているレオの写真は、2006年のものだ。2012年のレオは立っているとき身体が弓なりになっていて、その姿の変化に弟は気付いた。少しづつでもレオの写真をアルバムにまとめることで、わたしにとってレオの不在を受け入れていく助けになるだろうし、他の人たちもレオのことを思い出してくれるかもしれない。


紫陽花の季節にこの家を去った、柴犬レオ
紫陽花はわたしにとってはレオの花
仏壇にはしばらく紫陽花を飾っておこう


生け花のヒマワリが枯れたので、庭の紫陽花で活け直した
葉っぱと白いスターチスはそのまま生かして

 

昨日、藤原新也氏のトークショーに参加し、そのことをブログにまとめたが重要なことを書き忘れた。写真家となリ、著作家となった藤原氏は、印度の旅に出て、撮影した写真を朝日グラフに掲載することが出発点となるが、この最初の旅の実現は「旅に出たい」という強い思いを胸に、当時、東京芸術大学美術学部油絵科に在籍していた氏が朝日新聞社を訪ねたことがきっかけとなる。そもそもの始まりは「旅に出たい」という思いにあった。