藤原新也氏のトークショーに参加する

 今週に入ってからずっと体調が悪かったが、この日のためになんとか調子を整えてきた。今日はトークショー藤原新也と表現力」が朝日新聞社で開かれる日である。体調は万全とはいえないが、ひと月位前から著書や写真集を読んで準備というか気持ちを高めてきたので、でかけることにした。
 トークショーは休憩をはさんで第一部と第二部にわかれいてる。藤原氏は用意された椅子に座らず、立ってお話をされた。第一部は藤原氏が写真家、文筆家としてスタートする、そもそものはじまりから、『全東洋街道』『東京漂流』」に至るまでの、写真家、文筆家としての表現の変化を語られた。わたし自身は藤原氏が一世を風靡した時代の『全東洋街道』から氏の世界を知った記憶がある。それ以前に撮影された印度やチベット、台湾、香港の写真ははじめて観たもので、どのような状況でどのような意図で撮影したかを藤原氏自らの言葉で語られたので、非常に興味深いと同時に、写真から伝わるものの強烈さに打たれた。
 三十代半ばで藤原氏は「自分の老いを感じた」と語られる。その頃撮った写真が「逍遥游記」という台湾を撮った一連の風景写真で、人気のない街並みや自然の風景のぼうばくとした空間は確かに何かの到達点を思わせた。藤原氏は『逍遥游記』が氏の作品の中で非常に大きな意味を持つと言われた。
 第二部はどのように生きていくか、とまで考えるようになった氏のその後である。しばらく時間をおいて某月刊男性誌より声がかかり、『全東洋街道』の旅と撮影がイスタンブールから始まる。ここでは人を撮ろうと考えたそうだ。わたしが氏の作品を知るようになったのは、ここからである。その次に某写真週刊誌に「東京漂流」を連載するようになるが、ある出来事が起こり、連載は中止。これはわたしもそのいきさつを本で読んで知っていた。その週刊誌に掲載の広告に対して、藤原氏はアンチテーゼ的なメッセージを連載写真を通してつきつけたのである。
 その後、雑誌文化そのものの衰退もあり、藤原氏は連載の機会に恵まれなかったが、新しい世紀に変わる頃、地下鉄の構内に置いたフリーペーパー誌から連載の依頼があった。その連載したものから選んだ作品を単行本化したのが『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』で、市井の人たちが体験した運命の不思議を、藤原氏の視点でショートストリーにしたものだ。この本は今回のトークショーの前に読んだ本の一冊で、もう一度読んでみたいと思わせる本である。ちなみに、この他に今回読んだ本は『鉄輪』(かんなわ)『なにも願わない手を合わせる』『たとえ明日世界が滅びようとも』『俗界富士』(これは写真集)『書行無常』。
 トークショーの第二部は時間を大幅に延長した。藤原氏の話はやはり、コマーシャリズムに対するアンチテーゼに尽きるような気もした。
 最後に、理化学研究所小保方晴子氏が反論会見を行たときに撮影した写真をスクリーンに映し出した。どれも非常にいい写真。最後の一枚は小保方氏の首元を飾る真珠のネックレスに焦点を当てた写真で、藤原氏は真珠は貝が自分にとっての異物を自分が分泌する物質でくるんで無害化するときに出来るものと言われ、小保方氏はそのことを知ったうえで真珠のネックレスをあえて身に着けたのだろうかと結んだ。
 小保方氏が美しい真珠のような真実を、誰にもわかるかたちでわたしたちに明らかにしてくれる日は訪れるのだろうか。


トークショーの最後に、選ばれた何人かに著作本のプレゼントがあった
照明をつけた会場で、上のスクリーンに小保方氏のネックレスが写っているのが意味ありげに見えた


この記事はわたしの主観に基づいて記したもので、トークショーの内容を過不足なく、正しく伝えているかどうか自信はない。
大きな逸脱はないと思うが、もしあったら力不足なのでお許し願いたい。