梅干し二日目と、お盆の準備

 台風一過、早朝は厚い雲がおおっていたが、日が昇るにつれ真っ青な空が広がっていく。2キログラムの塩漬けした梅を笊に並べ、10時ころから車のルーフの上に置いて日にさらす。
下には新聞紙を厚めに敷き、笊の下からも風が通るよう丸めた新聞紙を笊の下に置いた。
 2キログラムのうち、1キログラムは一日だけ干してあるので今日が二日目。もう1キログラムは今日は一日目になる。強烈な陽射しが照り付け、一気に真夏がやってきた。お昼頃から今年初めて冷房をオンにした。庭から部屋に入るとどっと汗が出て、台所でお昼ご飯を作りながら、この暑さで熱中症になったら困ると思ったからだ。
 梅の土用干しをしながら、13日からのお盆の準備もした。父母の仏壇の掃除と、柴犬レオの仏壇の掃除。まだ何も用意していないので、夕方、花屋さんに行き、お花や飾り付け用の敷物、迎え火送り火に燃やすおがらなどを買いに行く予定である。
 一家に2つの仏壇があると、ほこりがたまらないようにするだけでも結構大変。もう一か所、箪笥の上に敷物を敷いて父母の写真やいくつかの遺品を置いた一角があり、ここも簡単に掃除しないといけない。
 午後、冷房のきいた8畳間〈生前は父母の寝室で今は仏間となっている)に、ごろんと横になった。雪見障子を上げると、紫陽花や木槿の葉に光と影が揺れ動く裏庭が眺められる。葉桜の下枝が風でさーっとなびいても風の音は聞こえず、こちらとはかけ離れた世界の風景を見ているように思える。風がなくても、葉っぱにあたる光と影が絶え間なく揺れ動き、葉そのものが動いているように感じられる。葉の重なりで暗くなった茂みのその先に光のあたったたくさんの葉が明るく透き通っているのが夢のように美しく思えた。同時にこの部屋で介護し最期を迎えた父のことを思い出し、この家で衰えていった柴犬レオのことを思い出した。今使っているエアコンも入院中の病院から冬に帰ってきた父が家で寒い思いをしないように買い換えたものだ。いくら一生懸命に心を配って介護しても、寿命を迎えた命を引き戻すことはできない。そう思うと涙が込み上げてきた。少なくともわたしの場合は介護にはハッピーエンドはありえない。やりとげたという達成感もないような気がする。


洋室から眺めた午前中早い時間の空
夏の雲がきれい
この部屋から眺める空が好きで、レオがこの家にいた頃も何度か写真を撮っている



手前が干して2日目の梅で、奥のほうが一日目の梅
しわの寄り方が違う
今日は夕方4時まで干した