紫陽花を手向ける

 朝から雨模様で、お昼前からぽつりぽつりと降ってきた。
 朝7時ころ起きてほとんどすぐ庭に出て、花が終わった遅咲きのツツジの2本ほど剪定した。まだ咲いているのが5〜6本ある。梅の古木を見上げると、天辺に近い所は赤く色づいていて、収穫を急いで!とわたしに訴えかけているように思える。近所の助っ人さんは晴れたら明日〈木曜〉、雨だった延期してら15日〈日曜)にわが家に来て、収穫することになっている。
今日の天予報だと明日はほぼ確実に雨なので、日曜になりそうだが、その日までたわわに実った梅をそのままにしておくに忍びない。脚立を持ってきて、取りやす場所の梅を収穫することにした。
 梅の重みで見るからにいっぱいいっぱいの梅の枝に労わりとありがとうの言葉をかけて、梅の実をもぎとった。通路まで伸びている枝は鋸で切った。梅の古木の負担を少なくするためにも枝を短く、少なくした方がいいと思ったからだ。近所の奥さんが通りかかったので、もいだばかりの梅を袋に入れてさしあげた。
 細い枝の先のぎっしりと梅の実がついていて、雨が降ったらさらに重みが増すので、横に伸びている枝の梅はなるべく枝ごと収穫した。そのうち小雨が降ってきたのでいったん休憩して、簡単な朝食を食べた。徒歩で10分ほどの所にある母の実家に住む従妹に電話をしたが、留守電なので「よかったら梅を取りに来てください」と伝言。しばらくして電話があり、午後に来るとのことになった。
 外を見ると雨が止んでいたので、まだ樹高のそれほど高くない若木の梅を収穫し始めた。そこにお向かいのご主人が来て手伝ってくれたので、収穫した梅をすべてさしあげた。若木の取り残した梅をさらにひとりで収穫し、ほぼ終えるとまた雨が降ってきたので今日の収穫はここまでということに。

 昨日、一昨日と、亡くなった柴犬レオが元気な頃、よく多摩川の河原で会っていた愛犬家の奥さん数人に立て続けに道で会い、立ち話をする機会が続いた。まるでレオが「僕のこと忘れないでね。元気なときもあったんだよ、楽しかったね。」とわたしに気づかせるために取り計らったみたいだ。レオの命日が近づくにつれ、昨年の今頃のレオを思い出すことが多かったが、レオを媒介にして知り合ったなつかしい人に会い、多摩川の河原を走り回っていた頃のレオをしみじみと思い出した。だがこのことが軽い抑うつ状態を引き起こしたようだ。散歩中のわんこの首輪がレオのために買ったものと色違いなのを見て、胸を突かれたり・・・・・不安定な心の状態が続いている。
 梅の収穫が6月15日の日曜になりそうなことも、わたしの憂鬱を強くする。6月15日は昨年亡くなったレオの命日、ちょうど一年目にあたる。レオの命日は家の中でのんびり(時には庭に出て)とレオを偲びながら過ごしたい。レオのために絵を描くのもいい。これこそがいちばんの供養と思っていたので、その日、静かな庭が騒がしくなり、梅を収穫するため動き回るのかと思うと、悲しくなってくる。憂鬱である。
 命日はレオとゆっくり過ごせない可能性が高いので、それまでレオと過ごそうと思い、今日梅を収穫するときはレオの写真をポケットに入れて、ときどきレオと会話した。レオ、あそこの梅、お母さんに採れるかな?(脚立から身体を乗り出し、手を精一杯のばし)、ほら採れた。お母さん、すごいでしょ。

 レオも梅の収穫をいっしょに楽しんでくれると思いたいが、せめて命日だけはレオをいつも心の中で感じて静かに過ごしたい。


今日採った梅の実
自分の家用に4キログラムほど取り、お向かいのご主人、近所の奥さんに
さしげた分があるので、実際はもっと多かった




昨年の今頃、柴犬レオは立っているのも難しく、網戸を身体の重みで外してしまい、
庭に落ちたことが数回あった
生きているレオに花を手向けることはないのは当然で、庭には紫陽花がいまが盛りと咲いていたが
眺めたり、父母の仏壇にお供えしていた
だが死んでしまうと、いままで水で薄めた牛乳を小まめに飲ませ、なんとか食事を食べてもらおうと工夫し手をかけていた、そのレオに、
今度は花を手向けることになった
その落差がわたしの心に酷い


庭の紫陽花と、鉄砲百合,ホタルブクロをレオに手向けた
鉄砲百合は昨年の6月15日には花が終わっていたのを憶えている