母の命日に墓参りをした

 朝、そんなに早くない時間に近くの街川そいに足を運んだ。50~60メートル間隔くらいに橋がかけられているが、下流の橋から上流の橋を見ると橋の下にアオサギが佇んでいる。そのまわりを数羽のカルガモが泳いで通り過ぎてゆく。すると青い鳥が川を斜めに横切った。翡翠(かわせみ)である。今朝の川は水辺を好む鳥たちの楽園のようだ。

 今日は母の命日だが、昨日の疲れが残っていたので、墓参用の花束は近くの八百屋さんで買った。すぐ近くだし、花屋さんで買うよりリーズナブルで助かる。

 午前中、昨夜夕食をともにした友だちからラインが送られてきた。ひさしぶりのみなとみらいがとても楽しかったと書いてある。わたしも友だちと会えてうれしかったし、みなとみらいの夜も楽しめたと返信した。

 母の命日の墓参に行ったのは午後で、元旦以来の墓参である。お正月用に買った花は花立の水がなくなっていたのでくたっとしているがまだ生かせるものもあった。近所で買った花束に、古い花束から生かせる花を抜いて束にして手向けた。16年目の命日である。わたしが悩んでいるとき、辛いとき、母は夢に現れ、何も言わないがそれだけで慰められる。最近は母の夢をみることがなく、別に悩んでいなくても夢に出てほしい。

 死んでから歳月が経るにつれ、手向ける花がだんだん寂しくなってきたのは、わたしが自分が生きることに気持ちを向けるようになったからだと前向きに考えたい。

 墓参を終え、バスに乗って駅近くのカフェに行った。アマゾンで注文した短歌の歌集が午前中に届いたので、バッグに入れて持って持って行った。ソフトカバーで外に持ち歩きがしやすい。カフェで三分のいちほど読んだ。

 セクション歌人というシリーズものの歌集では、短歌をぎっしりレイアウトしてあり、読みにくさを感じたがこの歌集は短歌と短歌のあいだにほどよい余白があり、読みやすい。1ページに短歌が3首か2首と言う構成だ。ときには見開きで4首というページもある。きちきちのレイアウトは好きでないので、このゆとりがうれしい。

 

庭の隅に房咲ローズが咲いている。この寒さの中、つぼみを開くのはすごく大変なことだ

 

 

 

上の枝のほうに咲く紅梅、うまく写真が撮れない