晴れて寒い日が続く。この時期の東京はだいたいこのような天候で、いつもと同じ1月が続く。いつもと同じ、ということがどんなに大切なことか。身に染みてわかるようになった。
同じように見えてきっとどこかで変化しているにちがいない。時代と言う大きな変化もある。
だがとりあえず、今日はそういうことは深く考えず、家でのんびりさせてもらおう。
話は一昨日にさかのぼるが夜の短歌教室を終えて、二子玉川からバスに乗っての帰り、そのバスのなかに二子で買ったものを置き忘れてしまった。
家に帰り、すぐ電話すると東急バスの営業所に保管してあるとのこと。
翌日(昨日のこと)、営業所まで行って受け取ってきた。
思うに、物を置忘れることはいままでいちどもなかったのだが、あの夜はどこかわたしが変だった。バスの運転手さんが年配の女性で、運転のしかたや声掛けがとてもていねいで好感を持ち、このままバスに乗ってどこか遠いところまで行きたくなった。こんな気持ちになったのははじめでではないが珍しい。
さらに「降ります」ランプを押すと、前の人がランプに手を伸ばしていて、わたしが押したので空を切ったみたいな感じになった。あらっと軽く思い、降りたがそのひとはその停留所では降りなかった。ここでもあらっと軽く思い、持っていたエコバックにぜんぜん意識が向かわなかった。
こんな心のささやかな動きが置き忘れにつながったのではないか。
昨日は思いがけなく忘れ物を取りに行くと言う外出があり、疲れを感じた。今日は家で休養するつもりだ。
短歌の歌集を読んだり、自分の短歌を作るのは無理のないていどにして、スマホの電源も切りたい気分。切ってしまおうか。夕方か夜、電源を入れればいい。
今朝も友だちからラインがあり、こちらの返信からあまり元気がないようだと察してくれて有難かった。だが、いまはラインが来て返事をするとか、電話がかかってきてやりとりをするということも少しお休みにしたい気分。
どこか遠い国に行きたい気分だ。一昨夜のあのバスに乗って、宮沢賢治の童話ではないが、誰かに会いに行くのか、わからないが。