朝からお昼にかけて雲一つない青空がひろがる。陽ざしはたっぷり。風は北西の冷たい風だ。
大晦日の夜、午前0時過ぎまで起きていて、朝目が覚めたのは4時半ごろ。やや睡眠不足だがそのまま眠ることなく床にいた。目が覚めたのは眠っている部屋の隣にある居間のエアコンをつけたまま眠ったのが原因かもしれない。暑いと感じて目が覚めたからだ。
起きてエアコンを消してしばらく布団のなかでうだうだしてから起きた。
6時半ごろにはいつものパンの簡単な朝食を食べ始めた。元旦恒例のモーニングショーのダイヤモンド富士を見た。
昨夜は入浴しなかったので、年に一回か二回くらいの朝風呂に入った。
水の音が気持ちよくこころに響いた。
賀状は届いているかどうか10時半ごろ郵便受けを見に行くと届いていた。20歳代からの旧友の賀状には後期高齢者になったので、今年で賀状はおしまいと書いてあった。考えることはあまり違わない。わたしもどうしようか迷ったからだ。一年一年迷いつつ賀状を書いても、いつか(そう遠くない将来に)やめるだろう。
わたしより数歳くらい年下の知人は高齢者の施設にボランティアとして、知人の得意な俳句を活用しているという。街の高齢者に幸せをささやかながら届けていると。
30歳くらいからの旧友とは50歳の初めころから会っていないが。こんどいつか会いたいと書いてあった。わたしも同様の気持ちではある。
振り返れば50歳代半ばころから父母と犬のいる生活で時間を取られることが多くなり、それまでの多くの知人、友人と会っていないように思う。確かに理由は父母や犬の世話に時間がとられるだが、本心では今までの人間関係に一区切りをつけたいと言う気持ちがどこかにあった。この気持ちを言葉にして伝えたわけではなく、この気持ちが現実となって距離を限りなく置く関係がいくつかあったように思う。
その中にあっても続いていた友だち関係はもちろんあった。柴犬レオの散歩を通じて新しい犬友もできた。レオがいなくなり、11年経った。その犬友とも距離を置くように今はなっているが。仲たがいした人もいる。会えば、にこやかにどうしてる?と話せる人もいる。
「人生いろいろ」という歌詞の演歌があったが振り返れば、その通りと思える。
現在のその「いろいろ」の最中で、迷うことはしかたがないのだろう。
午前中、恒例のことだが近くの氏神様に新年のお参りに行った。父母の代からこの神社の氏子で、毎年お札をいただいている。
昨年のお札を持って行き。お焚き上げをするもろもろのものの中に収めた。
この何年かでいちばん気持ちも足どりも軽く、お参りができた。願い事もシンプだが
自分のことだけでなく、周りの人たちのこと、さらに世界全体のことまで願うことができた。
御籤もいままでは一番いいように思えた。力強い詞が並んでいるから。ほとんどが神社の木に御籤を結んで帰っていたが、今年は持ち帰ることにした。
神社をあとにしてこんどは近くのお寺へ。
陽ざしをあびつつ、顔に北風を受けての逆風の中の移動だ。
昨日の大晦日、花を持って墓参に来たので、お墓の花はまだ新しくきれいだ。水を替えて線香を焚いて、父母に新年の挨拶を父母にした。この世からいなくなって16年と13年である。いつもより長く墓前に手をあわせた。思えば亡くなる少し前から父はわたしのそばにいる柴犬レオに向かって、お墓参りに来るんだよと話しかけていたがそのレオも父が他界して2年と少したって死んだ。
現在は墓参に来るのはほぼわたしだけである。弟もその家族も来ない。父が寂しがっているとは思わないが、生前を思い出すと寂しがっているかもしれないと思う。
家に帰り、昼食お雑煮を作った。朝早めの朝食なので、お腹がすいた。
お雑煮は美味しくできた。いつもより丁寧に作ったこともあるだろう。自分のために丁寧に食べるものを作ってあげたい。誰よりも大切な自分だからこそ。わたしがいなくなったら世界はなくなるのと同じだから、もちろん、同じように世界はあり、同じように時間が続くのであるが。
食べ終わり、居間の掘り炬燵のなかで少し短歌を作った。今年は元旦から短歌を作る気持ちになれた。いいことである。
だが眠気に襲われ、居間の隣の部屋に布団を敷いて横になり、しばらく眠った。
令和6年、初昼寝である。
今年はとりわけいい年にしたい思いがある。この数年、迷いつつ、道を切り開いてきた。同じことは続くかもしれないが、足取りは強くなると信じたい。
一昨年から持ち越しの皮膚のアレルギーはまだ続くが軽減へと向かっている。わたしを圧するさまざまな環境、自分のなかの迷いを少しずつ今年もいいほうに変えていこう。
みなさまにとって健やかで喜びの多い一年となりますようこころからお祈りします。