朝からどんよりとした空。一時、陽射しが出たがすぐ雨含みの天気にもどった。雨が降ったり止んだりして、でけけるときは傘が手放せない。
居間の掘り炬燵に入ってテレビを見ている時間が長かった。
平成の終わりをさまざまなに伝える番組が多い。
一昨日から読み始めた馬場あき子さんの歌集『あさげゆふげ』を読み終えて、二回目を読み始めたところ。二回目は辞書をなるべく引いて読むことにしているので一回目より時間がかかりそう。
平成の終わりを数日前のお墓参りで父母に伝えた。
今日は玄関に飾る花、お仏壇や、柴犬レオや老犬ももこの遺影に供える花を替えたり、新しい花を加えた。
庭で咲き始めたオオムラサキツツジを中心に、クレマチスや矢車草、咲き残りのラナンキュラスを切ってきて水きりをして、活けた。
平成はわたしにとって家族を失っていく過程のような時代だった。父と母と、わが犬二匹。近くの親しんできた商店街も寂びれて、商店が次々と店をたたんだ。いくつか残っている店では今でも買い物を続けている。
その反面、新しく出会ったものもある。いちばんの出会いは短歌を詠むようになったこと。短歌を始めたのは柴犬レオが死んだ後の喪失感を埋めるためだったかもしれないが、亡くなった犬を思う気持ちを短歌に託すことで心の傷の痛みをやわらげることができた。
老犬ももこを家に迎え入れて、共にに暮らした1年5ヶ月あまり。ももこと生活しながら、月に一度の歌会に通ったことは大切な思い出となっている。ももこに長い時間留守番をさせてかわいそうなことをしたと思うが、歌会が終わった後、ももこが待っている家に帰る幸せを体験できた。
いまでも明治神宮の月次歌会を終えて家に帰るとき、家にももこがいるような錯覚をおこすことがよくある。ももことの時間はわたしの中では続いているのである。
テレビ朝日の「平成ニッポンのヒーロー」を見ながらこれを書いている。
平成に生まれ平成に死にし犬年号なんぞと関係なしに
「墓参りに来るのだよ」犬に語りかけし父その犬も死にて久しき
住む家を去る寂しさをわが父はひしと抱いて犬に話しき
父母と迎へし平成ただひとりその最後の日を今日迎へをり
たくさんの別れがありし平成に短歌と出会ふよきことのひとつ