大晦日、墓参の花を買いに行く

 令和5年も今日一日でフィナーレを迎える。

 毎年のことだが、この一年もいろいろあった一年で、迷いに迷ってその迷いを何となく鎮めた状態で年を越す。

 振り返れば名古屋に亡き歌人、永井陽子さんの親友である詩人の大西さんに会いに行ったことで刺激を受け取ったし、いい出会があった。名古屋という街を歩いた時の感触みたいなものが今も残っている。

 11月に高速バスで訪ねた千葉県の美術館。あの秋の一日がわたしの生活に不思議なエネルギーをもたらしている。美術館で出会ったいくつかの作品に感銘を受けたこともそうだが、降りそそぐ陽光にきらきら光るような秋のたたずまいがなつかしい思い出となって残っている

 お正月の準備はもともと簡素だったが、年ごとにさらに簡素になってきた。とはいっても年があらたまるわけで、こころのなかのもろもろの迷い、葛藤を少しは整理して新たなこころがまえで新しい年をはじめたい。わたしの脚を引っ張る心の葛藤をすべて(とはいかないか)リセットして。新しい空をめざす鳥のように。未知の世界に芽吹く新芽のように。

 そんなにたくさんではないが年越しの買い物をしたけれど一つ、忘れたものがある。父母が眠るお墓に持って行く花である。

  昼食を食べて午後から花を買いに行った。急な坂道を上って最寄り駅のひとつへ。駅前から続いている商店街の中ほどに花屋さんがある。商店街ではすでに休業している店が目立つが花屋さんは開いていた。

 お正月用の墓参の花は、いつもより一束200円高くて1000円である。松や千両、菊などが入っている。二束買って、花が痛まないように大きな紙で包んでもらい、エコバックに入れた。

 歩いてもひとつの最寄り駅に行った。ここではスーパーマーケットで買い残したものをいくつか買った。いつもは買わないが出汁巻き卵も買った。

 午前中、友だちとラインのやりとりをして、お正月に準備するものをおたがいに送りあったが、友だちが錦糸卵と言ってきたので卵焼きが食べたくなった。こんな単純な理由からだ。

 買ったものを持って駅前のケンタッキーフライドチキンに入った。今年最後の珈琲を飲んだ。スターバックスをどちらにしようか迷ったが。混んでいそうなのでこちらにしたのである。

 店内はこども連れと若い人が多くて、いつもよりにぎやかだ。

 お正月やお盆休みの東京の閑散とした雰囲気が好きなのだがこの店はそんな感じはぜんぜんない。ただ、道路はさすがに閑散としていて、この道を車で運転したいと強く思った。

 1時間半ほどいて、店を出た。これから墓参や夕食の支度があるからあまりのんびりはできない。

 買ってきた花束に庭の日本水仙を切ってあわせた。ひさしぶりに墓参である。お墓を水とブラシ、タオルできれいにした。すべて誰れかが置いて行ったものだ。感謝である。

 すっきりしたお墓に花を供え、線香を手向けた。水仙の花がひときわ清冽に見えた。庭から切った花だよと父母に伝えた。

 

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 よいお正月を!

 

駅前の噴水のまわりの薔薇、花が終わりかけている薔薇も風情がある。