12月2日、カウントダウンが聞こえ始めた

 陽ざしはたっぷりでそれほど寒くない。居間の暖房はエアコンも炬燵もしっかり使った。

 もう12月2日になったのかという思いだ。

 昨日は落ち葉がいっぱいの駐車場や庭を掃除したり、落ち葉を掃き寄せたりした。庭に掘った2つの穴にかき集めた落ち葉を放り込んだ。

 梅やスモモの落ち葉は軽くてうすくてもろいが、柿の葉は厚みがあって大きくてかさばる。柿の落葉がなぜか好きだ。柿の葉がばさっと落ちて柿の木の下に積もるとああ、冬が来たと毎年思う。葉が落ちた柿の木から陽の光がたっぷり注ぎこんで庭が明るくなる。葉のない枝の向こうの青空を眺めるのも好きだ。足元の落ち葉を掃くとがさこそと音がして、この音がまた大好きだ。

 昨日は柿の葉を掃く音をとっぷり楽しんだ。だがまだ柿の木にも地面にも葉は残っていて、柿の葉の掃除はまだ終わっていない。柿の木の根もと近くに掘った穴に放り込んだりしなければいけない。

 今日の午前中はパソコンを開いて、ワードの「11月の短歌」ファイルの締めくくりをした。11月末の何日間かで読んだ短歌を入力して、12月への橋渡しとした。11月を終えないと12月に入れないので。

 いつも月の始まりはどんな短歌が詠めるだろうかと白紙のワードに向かう。そもそも短歌が今月も詠めるだろうか。最初の1首を入力し、日々の短歌を積み重ねて、また新しいひと月が過ぎてゆく。この繰り返しがいつまで続くだろうか。

 まだ12月に入って1首も短歌を詠んでいない。今日あたり詠んでみようか。

 12月に入ると例年、年賀状のことを考え始めるが今年も同様だ。今年は本気で年賀状を止めようかと考えている。ただ、矛盾するようだが年賀状にどうだろうと、風景画のスケッチを小さなスケッチブックに2枚書いた。力を抜いてスケッチした。へたくそでかまわないという開き直りのような、どこかを通り抜けたような気持がある。

 年賀状は書くにしても枚数を減らす方向にし、どうしても負担に感じたらやめる選択もありにしたい。

 めんどくさいことからだんだん手を引いていきたい。

 

サインペンでスケッチした、多摩川の向こうの遠景の富士山