小春日和の日に

 風もなくぽかぽかあたたかい初冬の一日だった。黄色く色変わりしたムクゲの葉の影が躍る廊下を見ていると、なんだか亡くなった柴犬レオがまだそこで眠っているような気がした。そんな思いがわき上がるのどかな日、まだ植え付けていないチューリップの球根を植えようと庭に出ると、やはりレオの幻が見えるような気に。
 こちらを見ているレオがそこにいる。こんな日は一緒に庭に出て過ごしたねと心の中で話しかけた。球根の植え付けの準備をしただけで、お昼になったのでひさしぶりに近くの店でランチを食べた。店を出た後もレオがいるような気がして、家に帰らず、落ち葉が散り敷いている道を歩いた。数年前までレオとよく歩いた道だ。センチメンタルな気持ちいっぱいに歩いていると、ケイタイにメールがきて現実に引き戻され、しばらく歩いてからUターンして家に帰った。
 午後は午前中に庭で拾っておいた桜の落ち葉を描いた。小型のスケッチブックで今年のはじめ頃に買ったので、レオのスケッチが2点だけ残っている。まだ何枚も白紙があるので、レオが死んだ後、柿の実を描いたりしている。
 小さなスケッチブックの中でレオはずっと眠っている。絵を観れば、絵を描いた日のレオが鮮やかに浮かび上がる。
 レオを思い出しながら、桜の葉を描いた。
 柴犬のレオは、思い出となってもわたしの支えになってくれるのだな。レオが側に居ると感じられる日は、寂しさの反面、レオのぬくもりが伝わってくるような気がする。レオとずっといっしょにいるよ。


庭で拾った桜の落ち葉を描いた
水をふくませ過ぎたので、紙がけばだってしまった
サインペンで描き、水彩色絵具で色づけ


本棚の横で眠っている老犬レオ
今年の3月14日にスケッチした
上の落ち葉の絵と同じスケッチブックの中で眠っている