昨日は武蔵小杉の歌会へ

 昨日は気温が低く、午前中は冷たい雨が降った。午後から武蔵小杉で歌会が開かれるので、早目に軽い昼食を食べて家を出た。

 歌会ではわたしが司会を務めるので、早目に会場に着くようにした。中原市民館に着くとみなさんは揃ろっていた。会場の会議室に入るのは1時15分前なのでロビーでしばらく待つ間、わたしは4月、5月は会を休む可能性が高いと話した。その事情も簡単に話し、短歌だけは出すが会には出ないと思う。一回は出られるかもしれないと話した。

 ひとりが月にいまは二回だが一回でもいいのではないかしらと言った。みんなの意見も聞いて話し合ってみましょうとわたしが受けた。ここで時間になり、2階の会議室へ。

 会議室でも話し合いが続き、ひとりが月に二回でないと困ると言い出した。季刊の短歌誌に送る短歌を、歌会のみなさんの意見を聞いてから送りたいので、月に一回だと数が揃わないとのことだ。

 結局、月に二回を継続することになった。わたしが忙しくて歌会の司会や詠草の入力

発送などができないときは仲間たちが手分けして穴を埋めてくれるということになった。

わたしは無理してできないことをやろうとしなくてもいいわけある。

 昨日の歌会はみなさんの出した短歌の総数がいつもより少なかったが、その分、いろいろ話すことがあり、また他愛ない話も楽しんだので時間をたっぷり使った。歌会を早目に終えたり、長く引っ張ったりは司会のやり方次第でどうにもなるのである。

 歌会の仲間から川崎大師の葛餅をいただいた。歌会を長く続けましょうという意味かなと思った。この仲間が好い人ばかりだからずっと続けたいとこの前電話したとき話していたから。この仲間は体調が良くないときは休むが、基本的にはこの歌会に参加することが楽しみなのに違いない。

 歌会のあと、仲間の三人とイタリアンの店に入り、パスタを注文した。蛤と春の野菜のパスタだが、別のトラットリアで食べたはまぐりの方が美味しかった。

 

 今日は家で休養した。昨日の歌会の最中、急に手が赤くなり痒みが強くなった。それが続いていて、顔の赤みもひどくなった。

 歌会がそんなにストレスとは自分では思わなかったが、意識とは別に本当はストレスなのだろうか。自分のことながら、わからないことがある。

 久しぶりに晴れたので、庭に出て花たちを眺めた。毎年同じようでどこかが変わっている。三本めの桃の木もとうとう枯れてしまった。庭には三本の桃の木が植えられていた。いちばん大きくて立派な桃の木は昨年枯れた。ただ一本残っていた小さめの桃の木もこの春芽吹かない。心の中を灯していた明かりがぜんぶ消えたような寂しさだ。柴犬レオがいた頃、今年枯れた桃の木に実がなり、メジロが来てついばんでいるのを居間から眺めたことがある。あのとき、レオがわたしのかたわらにいたのだ、と思う。

 

わが家のソメイヨシノ、やっと満開になった

午後は散り始めた

 

姫りんごの花