昨日は蒲田の歌会へ、今日は柿を10個ほど収穫

 おだやかな秋の晴天が続く。日中はそんなに寒くないが家にいるときエアコンと炬燵をいれている。

 昨日は蒲田で開かれる歌会があり、1時半から4時頃まで歌会がおこなわれた。お休みの人が多く、4人が歌会を休んだ。

 1首1首をまず参加者があれこれ感想やいいところ、気になるところなどを述べて、最後に先生が講釈をする。武蔵小杉の歌会と違うところは、先生がいるところである。先生がいると、参加者だけのおしゃべり時間はなくなる。いい意味で緊張感がある。

 好くない点は参加者の発言が抑えられることである。先生を意識して、のびのびと自分の意見を話さなくなる。わたしはかなり先生がいるゐないに関係なく発言ができているように思う。

 こういう歌会は参加者がいくらかの代金を支払い、さらに会場の確保や集金、歌会のために必要な詠草プリントを作り発送するなどの雑務を行うことになる。その係をする人は役員と呼ばれ、責を果たすことになるがこういう仕組みそのものに嫌気がさしていたところがある。みんなで負担を分担し合って必要な雑務を行うということがどうも受け入れがたい。お金を払ってさらに負担があるのが気に入らない。

 歌会のあとは、最近この歌会に参加するようになった仲間と、18年前からいる人、さらに武蔵小杉の歌会も一緒に参加している人と4人で近くのカフェに入った。最近の仲間は短歌をはじめてまだ7~8か月しか経っていなくて。百何十首も短歌を詠ったとのことだが、どれもこれもいいとは思えないと嘆いている。

 自信があるという短歌を1首出してこれをどう思うかと聞いてきたので、どういう場面をどういう気持ちで詠ったのかを本人から確認して、」他の三人でこうしたらどうかという添削をした。なかなかうまく添削ができなかった。実際に見ている光景が遠い夏の思い出をよみがえらすという、そのいちばん肝心なところを五七五七七で表現するのにてこずった。

 

 

 今日は昨日の歌会の疲れが残っていた。

 午前中は部屋の掃除をして、庭に出る時間もあった。庭の柿の木に大きめの柿の実がなり、鳥がときおり訪れる。いくつか味見したが甘くてとてもおいしい。鳥たちに食べつくされる前に人間用に収穫しようと高枝鋏でがんばってとった。それでも十数個だ。1個は昼食後のデザートにした。

 あとは明日家に来る予定の友だちにあげよう。

 昨年はほとんどの実が青いまま落ちてしまい、赤くなったのは数えるほどしかなかった。柿の木も1,2年は休んで、のんびりしてほしい(?)と思うので、実がとれない年は柿の木が休んでいると思うことにしている。休んでも実をつける元気がなくなることが一番心配だ。