朝から小雨が降り、寒い

 おだやかな秋の日が一転して、初冬の寒い日に変わった。

 降ったり止んだりの雨が寒さを強調するようだ。

 日中はエアコンの暖房と堀炬燵のある居間にいた。午前中は、掘り炬燵の中を掃除機をきれいにした。掘り炬燵の中を掃除するようになったのは昨年からで、ふと思いついて始めた。 

 この堀炬燵はわたしが小学校高学年のときから居間にあるが、たぶん、炬燵を出してから冬のあいだはずっと炬燵のなかを掃除しなかったのではないだろうか。いや、母が若いときは掃除をしたかもしれないがその時はわたしが子どもだったので記憶にない。

 ただ、父母が70歳代になってからは掘り炬燵の出し入れを手伝うことがあったが、ひと冬の間、中を掃除することはなかった。5~6月頃、炬燵をしまうとき、中を掃除したが、いろいろなものが落ちていて、埃がたまっていた。今思うと発火の危険があり、危なかった。

 わたしがひとりで(犬がいたときもある)使うようになってからも同様で、昨年から掃除を1~2か月に一回するようになった。

 今日はまだ炬燵を出してからひと月もたっていないので、何かが落ちていることはなく、ほこりも目に見えるものはなかった。それでも掃除はするようにしたい。

 掃除を終え、一年前のブログを読んだ。武蔵小杉の歌会のあとに有志でイタリア料理の店に入り、珈琲やケーキを食べていろいろ話したことをこれも歌会の楽しみの一つ、と言い切っているのを読んで、驚いた。そういう時があったのだと言う気持ちだ。

 今年の夏ごろからいろいろとあり、いつの間にか歌会の後に何人かとお茶をすることがなくなった。それはわたしがきっかけとなったところがある。この心変わりが自分でもやや驚きである。

 歌会のあとの珈琲とケーキ、みんなとの他愛もないおしゃべりを楽しんだ頃が今ではなつかしい。だがもとに戻ろうという気持ちはない。わたしは変わってしまったがそれには理由がある。変わった原因はもちろんひとつではなく、わたしが成長した証しといえるかもしれない。

 一年前だけでなく、二年前、三年前のブログも拾い読みした。そこに書かれている内容は、その生活は、その時思ったことは、いまでもわかる。わかるが今は同じではないところがある。もちろん、変わっていないこともたくさんある。なにが変わって、なにが変わっていないか。年をとったことは変わったことだろう。短歌への気持ちは変わっていない。一年前に関りのなかった人が友だちになったり、仲間になったり、は変わったことだ。

 気持ちが変わっても、続けていける関りを築いていきたい、そんな思いもある。

 

パソコンのワードに数日前から今朝までに詠んだ短歌を入力した。最近は短歌をためることなく、パソコンに入力している。

 自分が詠った歌がまた物足りなくなった。こういうのでなく、と言う思いが強い。ではどういうのがいいのかは好きな歌人や興味のある歌人の歌を読んで模索している。