昨日は武蔵小杉の歌会で話を切り出した

 昨日(9月13日)は夏休み明けはじめての武蔵小杉の歌会が開かれた。一か月半ぶりくらいである。

 コロナ感染拡大前に使っていた狭めの会議室を使った。スペースは狭いが置いてあるテーブルや椅子はやや高級で、他の広い会議室より部屋の使用料が高い。ひとりが欠席して、6人が集まったがこの部屋で以前は10人以上の歌会を開いていた。

 コロナを体験した後ではこの部屋に10人入るのはとても考えられない。わたしはもともと人がたくさんいるところが大嫌いだが、コロナを経てますます人が多いことに耐えられなくなったようだ。

 ひとり欠席した人はコロナに感染したとのことだ。とうとう歌会の仲間に感染者が出たか。

 歌会はいつもと同じように行われた。終わった後でわたしのほうからみなさんに話がある、と切り出した。歌会を進めるために会議室の予約と確定(申し込み)をし、担当の月にはみなさんの歌をプリントアウトし、司会を務める。これらは今まで通りやって行くが、歌会の欠席者に歌会でのみなさんの発言(こういう意見・感想があった)を書いたものを送るのはやめることにした、と。

 7月はわたしが詠草のプリントや司会を務めたが、同時に季刊の短歌誌に短歌10首とコラムを書いて送ったり、短歌大会に送る短歌を考えたりなどわたし自身がやりたいことが重なり、とても大変だった。やっと歌会を終えた後に、欠席者に送る歌会の内容を書いたものをつくるのが大変で、その他いろいろなストレスが重なり体調を崩した。これからはやらないことにしたと。

 隣りに座った人が、ぜんぶの歌ではなく本人の歌だけ書いてあげれば・・・・と言いさしたがわたしは無視した。負担をなくすには一切やめたいという気持ちがあった。実は最初は本人の歌だけ2~3首についてみなさんの意見・感想を書いていたのだが、他の2人がぜんぶの歌について書いていたので、わたしもつられるように2人と同じようにしたからである。歌会の仲間が了解したかどうかはあまり関係がなかった。了解や理解を求めていないからである。

 歌会の仲間と別れて、気持ちが軽くなった。

 7月の初めに蕁麻疹にかかり、薬を飲むとすぐ直ると医師もわたしも思っていたがいまだに治ってはいない。薬の飲む量は減ったが蕁麻疹が完全になくなったわけではない。生活全般からわたしがストレスと感じるものを少しづつ減らすのはまだ続けていて、これからしばらく、いやずっと続けるかもしれない。

 

 今日(9月14日)は、昨日の歌会に欠席した歌仲間に電話をした。同居している家族からコロナに感染し、熱はほとんどなく喉の痛みが強かったとのこと。からだが重いようなだるさが続いていて、食欲にむらがあるようだ。来月の歌会からは出席したいと本人は言っている。電話では元気な感じで話しているが、だるいので横になっている時間が多そうなので、早く症状がとれるといいと思う。

 もうひとり昨日の歌会に出席した歌仲間に電話すると、昨日、話したいことがあるとわたしが切り出した時、歌会を止めるという話かと一瞬思ったと言われた。わたしは実は止めることも少し考えたと話した。これは本当の話だが、いろいろ考えて今回は負担になるものを少し減らす方向で行きたいと思ったのである。

 電話で仲間はわたしの話を聞いてみんな納得していると話したが。わたし自身は必ずしもそう思っていない(これは相手に話していない)。納得していようがしていまいがもうどうでもいいのである(これも相手には話していない)。

 歌仲間は80歳になったので、前のように短歌について目標をたてるのをやめ、もっと気持ちを軽くして詠っていきたいと話した。そのほうが肩に力が入らなくていいとわたしが受けて話した。いままで短歌大会に自分の短歌を送ることが少なかった仲間にいろいろな短歌大会を教えたが、このことも仲間には負担だったのかもしれないと今は思っている。自分のやりたいように、その人のペースでやればいいのである。わたしは誰にも合わさない、短歌に関することでは。自分がいちばん楽しくこれがいいと思うやり方で短歌とつきあっていく。

 短歌の仲間とは別に、友だちと断続的に電話やラインをやりとりした。これが終わったのが夜10時ころ。友だちにお疲れさまでした、ありがとうと伝えたい。