昨日は鎌倉で源実朝顕彰の歌会、今日は武蔵小杉の歌会を休む

 今日は朝起きたら雨が降っていて、寒い一日。

 先週のことだが家に二日間、植木屋が来てからの疲れがすっかり取れないまま、日々をしのいでいる。植木屋のトラックを停めるため、自分の車を移動し、元に戻す作業が思ったより大変で、高齢になってからやることではないなと思った。歌会の仲間に柿をあげるため、車で駅前まで向かい、駐車場探しに苦労したこと、長い時間を仲間と話したことも疲労の原因かもしれないが、もっと深い原因があるかもしれない。

 そんなこんなの毎日だが、昨日は鎌倉まで出かけて、源実朝顕彰の短歌会に参加した。鎌倉同人会が主催しているようだ。今回で3回目だが、最初は武蔵小杉の歌会の仲間が数人参加しているのでではわたしも、とついて来た感じ。次は仲間のひとりで参加し、今回は武蔵小杉の歌会の仲間と、蒲田の歌会の仲間も参加した。わたしを入れて計三人で参加したのである。

 武蔵小杉の仲間は短歌大会の主催者の一人、歌人の大下一真さんにより第一位の選者賞に選ばれた。

 賞に選ばれた人は舞台前の一番前の席が用意されているので、わたしたちは違う席にひと席あけて座った。コロナ対策で隣の席には座らないようにと、決められている。

 歌人の谷岡亜紀さんが「乱世の歌 戦争の歌」と言うテーマで講演をした。源実朝の短歌の話はなかなかおもしろかった。ペシミスト源実朝と言う見立ては間違ってないないだろう。実朝が置かれた状況で楽観的になんかなれるか!よほどのバカではない限り。

 

大海の磯もとどろに寄する波われてくだけてさけてちるかも  源実朝「金塊和歌集」

 

 尋常でない迫力がある。どうでもなれ、というやけっぱちの迫力。自分の運命をあきらめる、その激しさ。

 

炎のみ虚空にみてる阿鼻地獄行方もなしと言ふもはかなし 源実朝「金塊和歌集」

 

山桜今はの頃の花の枝に夕べの雨が露ぞこぼるる   源実朝「金塊和歌集」

 

 歌会の後半は大下一真、谷岡亜紀、木村雅子、津金規雄(敬称略)による応募した歌の講評をおこなった。1首に使える時間は0.98分しかなく、それでも前半くらいまでの短歌は時間がオーバー気味に、最後のほうはさらに短くはしょられた。わたしはいつも応募が遅いので、走るように講評してくれる。歌会の作品応募のチラシには一首一首ていねいに選者が講評します、と書いてあるがそろそろ事実をチラシに書くべきではないか。

 それなりの時間を使って講評します、とか、まずまずの時間を使って1首1首を講評します、とか。臨機応変にできるだけ丁寧に講評します、とか。

 詰め込み過ぎの歌会のスケジュールがいけないのか、わたしに体力がないのか、この歌会といわずどの歌会も疲れるがここは特にわが家から遠く出向くので疲れが倍加する。

 仲間の表彰式は見ることなく、短歌の講評が終わってすぐ席を立ち、会場をあとにした。もう一人の仲間はすぐ帰り、わたしは駅前で土産を買って帰った。

 家に帰る最寄り駅前のカフェに入り、ひと息いれた。ここで先ほど別れた仲間とラインのやりとり。

 今思うと土産なんて買わなければよかった。

 

 というのは今日は昨日の鎌倉行きの疲れが出て、武蔵小杉の歌会があるのだが休会にした。休会にするのはある程度予想していたので、今日が締め切りの短歌3首は仲間に前もって封書で発送してある。朝電話したところ、まだ届いていないとのことだが今日届くはずだ。

 家でのんびり休んでいると久しぶりの知人から電話があり、わたしが紹介したある人について、あまり聞きたくない話をした。片一方からだけの話なので、鵜呑みにはしないが紹介した人は友だちと言っていいほどの関りがあるので。心中おだやかではいられない。わたしが一方的に友だちと思っているだけ、とも考えられる。

 ただ、本人に問いかけることもできす。というのは誰からこの話があったかを明らかにしないと話ができないからだ。わたしが間に入るかたちになるのは何よりも嫌だからだ。

 知らせてくれた話は事実と知人の憶測、推察が交じり合っているので、何とも判断しがたい。このことを胸に置いてつきあうしかないかな。あまり相手に期待しないようになるのでかえっていいと思うことにしよう。

 昨日表彰されたのに、こちらが表彰式をスルーして帰ってしまった仲間にさきほど電話をして、疲れていたのですぐ帰ったと事情を話し、あやまった。