昨日は東京国立近代美術館に「リヒター展」を見に行った

 昨日は蒸し暑い日だったが竹橋にある東京国立近代美術館に行った。

 友だちから日曜美術館で「リヒター展」を取り上げるのを聞いて放映を見たあとで、すぐパソコンで9月七日の11時からの入場券を予約した。

 東京メトロ半蔵門線の九段下で東西線に乗り換えて次の駅、竹橋で降りた。駅から5分もかからないほどの近さ。水堀にかかる御影石でできた竹橋を渡り、すぐである。

 美術館は空いていて、着いたらすぐ入場できた。以前、鏑木清方の展示会で来たときは入場のために列を作り、20分ほど待った記憶があるので拍子抜けした。

 だが展示会場はゆったりとしていて、順路がないので自由に展示会場を巡って鑑賞できる。人もそんなに多くなく、すごく快適である。人が密集している美術展は遠い昔の記憶になったしまった。ああいう環境でよく絵画などの作品を鑑賞できたものだ。

 ゲルハルト・リヒターはドイツの現代美術家で、第二次世界大戦が終わったころ10代の初めだった。東ドイツから西ドイツに亡命した経緯がある。

 写真をプロジェクターでキャンバスに投影し、輪郭をぼかしてなぞっていく、フォトペインティングや、キャンバス全体を一気に描ける大きなへらを使ったアブストラクト絵画、様々な色の正方形を組み合わせた絵画・・・・・・・。

 プリントした写真に油彩で色を重ねる作品もあった。どの作品も見ていて面白く、作者の意図が伝わってくる。

 会場を入ってすぐのところ、左手の展示場にビルケナウの作品が展示されている。ビルケナウは第二次世界大戦中、ユダヤ人収容所のひとつだったところ。収容されていたユダヤ人のなかで作業班に属し、同胞の遺体を焼く作業をおこなった人のひとりが隠し撮りした写真を残した。その写真をキャンバスに投影しなぞって描いたその上に、色を重ねて塗りつぶした作品を4作、展示している。写真が4枚、それに対応して作品も4作となっている。

 赤と黒と灰色と少しの緑、色彩はこれだけであるが複雑な表情を見せる。油彩絵の具は乾いているのだが、特に厚く塗った赤色は濡れているように見える。絵の具と言うより血のような存在感がある。

 4枚の作品を片側に展示し、反対側の壁にはその作品の複製品が展示されている。複製品は本作ほどのなまなましさが薄れている。

 ゲルハルト・リヒターは1932年2月3日生まれ、現在90歳であるがこのビルケナウを制作するまでかなり長い歳月が必要だった。ほぼ半世紀の歳月だ。

 展示会で鑑賞に要した時間は1時間と少しだったがとても濃密な、豊かな時間に出会えた。

 

 今日は天気が不安定だが、蒸し暑さはなくなり、過ごしやすい。冷房を入れることなく、窓からの風や扇風機でじゅうぶんである。

 午前中は部屋の掃除をした。3つの部屋と広縁、台所、廊下など掃除機を二回にわけてかけた。居間と仏間、台所、広縁をまず掃除して、汗が出てきたのでひと休みして残りを仕上げた。

 大田区短歌大会に投稿する短歌をどれにするか考えるが、なかなか決められない。そうこうするうちに眠くなり、仏間にごろんと横になった。目が覚めると、ラインの着信音がした。しばらくぼうーとしていたが起きてスマホを見ると、蒲田の歌会の仲間から。やり取りを始めると、別の友だちからもラインが入ったので、ふたりとラインのやりとりを同時にした。