雨の日、目線を下に向けて

 朝から冷たい雨が降る。3月の花が咲く頃、なぜか冷たい雨が降ることがよくある。春の早足をなだめるような雨だ。

 朝、広縁の掃き出し窓をあけて、庭を眺めた。満開の乙女椿が雨の重さで落ちて、地面に桃色を散らしている。この落ち椿を見ると、老犬レオを思い出す。2013年の6月にレオは死んでしまうのだが、その年のちょうど今頃の印象的な写真がある。

 広縁の窓際に横たわるレオの向こう、庭の地面に乙女椿の花が重なるように、土を隠すくらい落ちている。明るい桃色が地面を光らせているように見える写真だ。

 今朝はそんなにたくさんの椿が落ちてはいなかったが、あの日を思い出すにはじゅうぶんである。  

 写真ではレオの横たわる広縁に洗濯物が干してあり、雨の日であることがわかる。

 同じく雨の日、地面の乙女椿、だがレオはいなく、広縁で洗濯物を干さなくなった。時間の流れを感じた。

 晴れている日は目線が上へ、空に向くような感じがある。雨の日はなぜか目線が下に向くのである。いや、乙女椿が落ちていたから、下へ誘われたのかもしれない。

 近くで買い物を少しするだけで、雨が降る日中はずっと家にいた。友だちのひとりとラインのやりとりをした。昨夜、ラインを送った別の友だちからはまだ返事がない。一日二日、返信まで時間があることも。あまり気にしていない。

 午後は久しぶりに自室でストーブをつけて昼寝をした。この部屋で昼寝にしろ眠るのはほんとうに久しぶり。以前は寝室として使っていたが、最近は居間の隣の仏間で眠っているからだ。

 夕方、雨が止んでから少し散歩をした。桜はまだ一、二分しか咲いていなかった。