冷たい雨の一日、歌会の詠草プリントを発送する

 昨日より雨の降り方が強く、傘を差さなければでかけられない一日だった。

 燃えるゴミ出しの日なので、落ちた椿の花を拾ってゴミ袋に入れ捨てた。朝は傘をささなくてもそんなに濡れなかった。

 武蔵小杉で開かれる次の歌会に向けて、参加者の短歌をワードでまとめプリントしたものをそれぞれに送る作業をした。間違いがないか最後の校正をした時、大きな間違いを発見。誤字脱字ではなく、参加者が提出した短歌の内容が間違っていることに気づいた。

 何を勘違いしたのか、三島由紀夫の割腹自殺を10年前と詠っているのだ。さっそく、詠った本人で電話して、訂正していいかを聞こうと思ったが家電とスマホ、どちらも出ない。しかたなく、そのままにして、歌会当日に訂正することにした。詠った本人が知らないところで、了解なくこちらが直すのはよくないと思った。本人が間違いを認識して直すように言う形がいい。

 のちほど本人から電話があったが、すでに投函した後なので、歌会当日に訂正することを話した。

 プリンターの調子が悪く、歌会の詠草はプリントできたが、自分の書いたものをプリントしようとしてエラーが生じた。いくつかこうしたらどうか、という事を試してみたが直らないので、メーカーのインフォメーションセンターに電話した。ここでもどこが悪いのかわからず、後で調べて電話をくれることになった。

 その後、自分でいくつか操作しているうちにインク切れの表示が出て、インク交換をしたら正常に印刷できるようになった。だがすぐまた同じエラーが出た。さらに紙詰まりのエラーが出て、どこに紙が詰まっているのかわからずそのまま放置した。 

 するとインフォメーションセンターから電話があり、紙詰まりのチェックしたら、詰まった紙を発見。教えてもらいながら、詰まった紙を取り除いた。試しに印刷をしてみると正常に動いたので、今回はこれでOKということにした。

 雨が降っているのでほとんど外に行かず、パソコンに向かう時間が長かった。

 ブロガーの「永井陽子への旅」に新しいブログを投稿した。3回目である。当初は月一回更新でいいかなと思っていたが予想に反して多い。

 歌人、永井陽子でググって見ると、はじめの方は見慣れた記事が多いがかなり後の方におもしろいブログを見つけた。結社誌「短歌人」で昭和62年度の短歌人評論エッセイ賞を受賞した「一瞬の他者「(永井陽子論)というタイトルの作品が載っている。この作品の作者のブログだろう。

 とても興味深く読ませていただいた。一読しただけだがもう一回、いやあと二回くらい読み返してみたい。

 永井陽子が詠む短歌は作者ではなく、語り手が主体となった作品だという見立て。よく短歌に詠まれたことは作者の感じたことであり、どこかに行ったリ見たりしたのも作者であると言われる。確かに永井陽子もそのような短歌を詠んではいるが、作者個人から独立した別の主体(語り手)が詠んだ短歌に永井陽子らしさがある。

 作者と語り手は別である、という視点がおもしろい。もう少しこのエッセイを読んで理解を深めたてみたい。

 

家の主この世を去るとも庭木々や庭のギボウシ変わらず芽吹くや