百日草の芽が出た

 晴れて気温が上がった。とはいっても暑いという感覚はなかった。半袖では心もとなく、長袖二枚で過ごした。

 今週の日曜日に種子を蒔いた百日草の芽が出た。日曜日には百日草、千日紅、朝顔、ヒマワリの種子を蒔いた。千日紅の発芽が早いという記憶があるが、それより百日草が早くやや意外だ。

 ヒマワリもひとつふたつ芽を出したものがあるし、朝顔も芽を出しかけている。千日紅は発芽の気配がなく、心配になってきた。

 明日あたり芽を出してくれるといいのだが。

 お昼近く庭に出て、花後の山吹の枝を払った。南天の木も椿の木と重なって混みあっているものを根元から切った。ネズミモチの木の枝も短く切った。

 これからの季節、葉が茂りすぎると風通しが悪く、庭木に虫が発生しやすくなるし見た目も暑苦しい。伸び放題の枝を整理することで、庭に風が通るようになり、気持よく庭で過ごせる。ただ、これからは蚊が発生するので庭でのんびり過ごそうと思わなくなる。

 家にいる時間は新聞を読んだり、国会図書館でコピーした永井陽子さんの短歌やエッセイなどを読んだりした。

 永井陽子さんが釈迢空という歌人が敬愛していたことをエッセイを読んで初めて知った。永井さんの初期の歌には釈迢空の歌集や小説『死者の書』の影響が色濃いことを知った。そうか、ここでつながっていたのかという思いがある。

 とつぜん無から永井陽子さんの短歌世界が生まれたわけでなく、母体のようなものがあると気づいた。

 

 今日は岡山市に住む昔の知り合いに突然の電話をかけた。だいぶ前からどうしているだろうと思い、電話をしたかったが本人が書いてくれた連絡先を見つけられなかった。だがちょっとしたきっかけで、どこに書いてもらったかを思い出したので電話をしたのである。ちょうど岡山市のどこかで歌会の最中で、長く話はできなかったが夜になり、先方からメッセージを届きこちらも返した。岡山市で知人が主体となって発刊している同人誌を送ってくれることになった。届くのが楽しみである。

 もう一人、割と近くに住む従妹に電話をしたがいなかった。こちらも夜向こうから電話があり、来週会うことになった。先日、最寄り駅に行く途中の道で会い、現在入院している母親が退院する前に会って話したいと言われ、こちらから電話したのである。6月初めころには退院して家に帰ってくるかもしれないとのことで、来週会えることになり良かったと思う。

 夕方はバスに乗り、等々力駅前のカフェに行った。小一時間ほど梅内美華子さんのk集を読みながら、自分の短歌を詠んだりした。帰りは少し買い物をして歩いて帰った。