秋の花がちらほら

 朝から晴れて、気温が上がった。吹く風が生温かい。

 庭では金木犀が二度目の花を咲かせて、周りの木々にも香りをしみこませているし、花壇や植木鉢で秋の花が咲き始めた。

 花壇はグラジオラスの球根を掘り起こしたら、急に寂しくなった。そこに宿根草の白い浜菊が咲いている。この花はなんどかこの花壇に植えたがあまり長持ちしなかった花で、この秋咲いているのはうれしいことのひとつ。

 植木鉢では十数年植えたままの秋明菊の白い花が咲いている。いくらなんでもこの花が終わったら植え替えをしたい。植えたままでも何とか花を咲かせてくれているが年年に花の数が少なくなっていく。植え替え時期を調べて新しい土で植え替えたい。

 同じく十数年同じ植木鉢に植えたままのホトトギスも咲き始めた。母が亡くなった年の秋、近くの商店街にある花屋さんで買ったものだ。その花屋さんも6~’年前に商店街の店をたたんでしまった。そのかわりにもとの店のすぐ前のアパートに仕事場を借り、植木や庭の手入れなどを請け負って仕事をしている。

 庭に咲く秋の花は白い花だったり、地味な紅色の花で華やぎに欠けるが思い出のある花ばかりだ。

 秋明菊ホトトギスは、この家に父や柴犬レオがいた頃買い求めたもので、ずっと秋の同じ時期に花が咲かせている。

 蒸し暑くて秋とは言えない毎日が続くが、秋の花たちが花を咲かせるのはたぶん、気温ではなく、日の長さによるのだろう。秋分を過ぎ確実に日が出ている時間が短くなってきた。花たちは短くなった日照時間に秋を感じているのである。

 最近、一年を振り返るような気持になることがある。何が変わっただろうか、なにが変わらないだろうか。何を変えたかったのだろうか。

 変えたかったのに変わらないもの。変わってほしいのに変わらないもの。変えようとして変わってきたもの、変わってほしくなくて変わっていないもの。

 今年はまだ3か月あるが、一年は短いなあとつくづく思う。人を変えることは不可能に近いから自分を変えるしかない。そう思って今年もいろいろやってみたが、どうなんだろう。人間関係の網目のなかで疲れているのだろうか。

 昨年の7月~10月は気持ちの上で苦しいことが多く、今思い返すもの辛い感じがするが、今年はあのような状態でないことだけが救いと思っていた。だがどうなんだろう。少なくとも食欲がなくなったり、睡眠時間がとれないということはない。それだけでもよくなったと思うしかない。自分の気持ちをコントロールする術を少しは身に着け、囚われすぎることから自由になった。

 

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浜菊の白い花、せっかくの白い花に虫がついている

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秋明菊の白い花

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植木鉢に植えたホトトギス、十数年も同じ植木鉢で秋ごとに花が咲いているので悪いような気持にもなる