残暑見舞いを書く

 朝から晴れて暑くなった。早やい時間からエアコンを入れて、日中はほぼずっと家にこもっていた。

 ワードで八月の短歌を何日かに一回入力しているが、今日も先週の土曜日から今日までに詠んだ短歌を入力した。

 9月1日か2日必着の明治神宮秋の短歌大会や、9月10日必着の明治神宮の月次題詠など、そろそろどんな短歌を送るか考えようと思った。

 考えようと思っていい歌がすぐできるわけではないが意識して考えないと気持ちが集中できない。題詠は「球」だが、ありふれたものしか思い浮かばない。ただ、難しく考えるとかえっていい歌が詠めないので、どんなものでも短歌にしてみて良くないものは整理していく。できそこないでも詠ってみて、これは良くないと自分の歌を批判的に見る目を養うことにする。なんか自虐的だけど。

 昨日行った東京国立博物館で、葛飾北斎の富岳三十六景の版画を使った絵葉書を買ってきた。代表的な作品を八枚の絵葉書にしたものだが、そのうちの2枚で友だちへの手中見舞いを書いた。ひとりはラインでときたまやりとりするが、もうひとりは年賀状以来の音信である。葉書の通信面に小さめの文字でぎっしりと近況などを書いた。

 あと数枚、残暑見舞いを書くつもりだ。割とよく電話で話す友だちや、ラインでときたまやりとりする友だちなど、ときには葉書を送るのもいいかなと思う。

 

点滅の灯りを見せる飛行機よりこの月いかに見ゆるらむか

 

この坂の上りはあの日君がゐき今夜はひとりで下りを歩く

 

球形のドームの上に目とふ名の窓開きゐて光がそそぐ

 

日が落ちて家に帰れば虫の音がわれを迎へる季節となりぬ