図書館で『わたしの開高健』を借りる

 

朝は5時過ぎに目が覚めた。掃き出し窓のカーテンを開けると、外はもう明るくなっていた。

 老犬ももこがいた2016年の8月の同じころ、朝が訪れるのがおそくなってきたと感じた覚えがある。あのころはもっと早く目が覚めていたのかもしれない。4時半ごろ目が覚めるとまだ外は暗いのだろう。夏至のころから7月にかけては朝4時ころでも明るいから、それに比べると日が短くなってきたと感じたのだろう。

 やや睡眠不足だがそのまま起きて一日をはじめた。

 午前中は近所の肉屋さんで買い物をして、そのあとは車に乗って図書館に行った。長い間借りていた本を返して、新しい本を5冊借りた。そのうち2冊は短歌の本。3冊は開高健という作家の全集2冊と、細川布久子さんの『わたしの開高健』という編集者であり私設秘書だった作者が見た開高健について書いた本である。

 さっそく家に帰って『わたしの開高健』を読み始めた。この本を借りてみようと思ったのは、栗木京子さんの歌集『けむり水晶』で読んだある短歌がきっかけだ。

 開高健は58歳で他界しており、その墓が鎌倉の円覚寺にある。その隣に奥さんの墓があり、娘さんの墓もこの寺にある。このことを読んだ短歌だ。開高健とその妻の羊子さんは生前、非常に険悪な仲だったがその墓が隣にあることをある感慨を持って詠った歌ではないかと解釈した。

 そんなことから開高健についてインターネットで調べ、なぜか『わたしの開高健』という本に行き着いたのである。本との出会いは偶然が多く作用する。

 昼食後、半分くらい読んだところで眠くなり、今の隣の八畳まで横になると寝入ってしまった。起きたのは6時近く。寝すぎたと思いすぐ起き上がり、隣の部屋に置いてあったスマホを見ると、友だちからインが届いていた。昨日の夕方送ったラインの返信である。こちらからまた返信した。