昨日は梅雨明け後の真夏を思わせる晴天で、気温が上がり今年はじめてエアコンの冷房をいれた。
今日は梅雨の曇天に戻り、湿気は多いがエアコンをいれるほどではない。
また話を戻すが、昨日からお盆の準備をはじめた。全国的にはお盆は8月だが、東京など一部の地域は7月におこなわれる。
わが家のお盆も7月である。13日(火曜)から16日(金曜日)までだ。
母が他界したその年からわが家ではお盆を迎えると盆棚を作り、迎え火送り火をたいた。ごくごく質素で、我流が入ったお盆の迎え方だが、父母はそれでいいよと言ってくるだろう。
昨日土曜日は車でホームセンターに行き、盆棚の敷物や手向けの花、迎え火送り火に燃やすおがらなどを買った。仏壇の大掃除もすました。
13日が盆の入りだがわが家では10日現在(日曜日)、仏壇の前に大きめのテーブルを置き、買ってきた花を飾り、お供え物はないが盆棚のかたちは整えられている。
このようにすると父母の霊が家に帰ってくるような気になるからふしぎなもものである。父母は遠いあの世ではなく、いつも身近にいるように常日頃感じているがお盆になると遠い世界から戻ってくるように思うというこの妙な感覚。矛盾したことが矛盾なく共存するのがこの世の常のようにも思う。
今日日曜日はお盆が始まるのを待ちつつ、自分がやりたい好きなことをする一日にしたい。
いや、わたしにとって365日、基本的に自分がやりたいことをやる日々にしたいと思っている。父母が他界し、その後二匹の犬が死んだあとは余生のようなものでかえって好きなことができる気持ちになっている。
確かに日々しなければいけない細々とした雑事が多いが、それも楽しむ感覚でやって行こうと思っている。そのうえで背負い込むものはなるべく少なく生きていきたい。
今朝の目覚めの際に変な夢を見た。長い夢でいろいろな経緯があったのだがそれはほとんど忘れている。覚えているのは最後のほうだけ。
わたしが部屋にひとりでいると、ドアが開けられ男の人が立っている。白に明るい茶の模様の猫(大人の猫)をその人は抱いていて、何も言わずにわたしにその猫を手渡す。わたしは抱いて受け止め、部屋にその猫をおいてなでたりしながら、この猫を受け入れる気持ちに少しづつ変わっていく。そこで目が覚めた。
さきほど書いた背負い込むものはなるべく少なくという、わたしの気持ちに反するような夢でちょっと気になるが、夢は夢で現実ではないので、おもしろい夢を見たなと考えることにしたい。
お昼ごろから晴れ間が出て気温が上がった。午後はエアコンが必要になった。
お昼過ぎ近くの川に行くと軽鴨のひな鳥が親子関係のないつがいの鳥といっしょにいた。雌のほうにひな鳥はなついている。雄は少し離れたところにいる。ひな鳥は雌の大人の鴨にぴったりくっついて、川べりの草の上で休んでいる。
小一時間後にもう一度同じ場所に行くと、今度は軽鴨ルパンがいた。ルパンは結局、ひな鳥と仲良くできなかったのだろうか。
ルパンに別れを告げ、少し下流に行くと青大将が川を泳いでいるのを見つけた。ときどき岸に上がるがまた川に入って泳ぎ、上流に向かっていく。
大人の軽鴨は青大将の餌にはならないと思うが、ひな鳥は危険である。ひな鳥にとっての脅威を目の当たりにして心配がより具体的になった。