雨が降る日が続くが家に閉じこもってばかりもいられない。
ときおり雨が止むときに選んで外に出た。もちろんか傘は持って。
家の近くの川の石の上には軽鴨ルパンがいた。
ルパンに別れを告げ、今日は川の上流へ。ほんの数十メートル歩くと軽鴨が一羽下流へと泳いでいるのに会った。おや!さっきの軽鴨がルパンだと思ったが、こちらもルパンに似ている。羽根がそそけだっているところがルパンではないかと思った。
わたしは今まで確信をもってこれがルパンと言い切れたのは、一羽で行動している軽鴨が他には見かけなかったからだ。だが一羽で行動する軽鴨が二羽いるとなると自信がなくなった。軽いショックを受けて、その気持ちを抱いたまま散歩を続けた。
川沿いの散歩だがそのあとは軽鴨を見かけることはなかった。
上流のあるところで引き返した。川から住宅街へ道を少し入ると、広い庭のある家があり、門扉から10メートルほど離れた玄関先に犬が横座りしていた。首輪はしているがリードではつながれていない。数年前、この家の門扉の前を通りかかるとこの犬がわたしのほうに来てくれた。犬は門扉に前足を立てて、愛想よく応じてくれた。
そのことを思い出し、リードでつながれていないのなら来てくれるかなと期待したが犬は座ったまま、口をもぐもぐさせている。これは犬が緊張しているときのしぐさだ。わたしを見て、この犬は何らかの理由で緊張し、近づいてきて愛想をふるまうような気分ではぜんぜんないようだ。
数年前、門扉まで来てくれた犬はその後、リードでつながれるようになり来れなくなり、わたしは散歩の途中に寄ることがなくなった。そして今日久しぶりに立ち寄ると依然とは違う犬の反応を見ることになり、過ぎた時間を思った。その間に水害や現在も続くコロナ禍がある。老犬ももこがいなくなったこころのすきまに、つかのまあたたかく入りこんでくれた犬だったが・・・・・・・。
下流へと引き返した。また家の近くまで来て川をのぞくと岸辺に上がり、さきほどの軽鴨が嘴を背に入れて休んでいた。やはり、これがルパンだ。今日はそう思うことにした。
部屋という檻かもしれぬ場所にゐて雨降る庭を眺めてをりぬ
忘れてゐしちひさきことを思ひだし過ぎたる時間をいとほしみたり