季刊の短歌誌が届いた

 雨が降ったり止んだり、梅雨の天気が続いた。フローリングの床がべたべたする感じがある。湿気がいたるところにこもっているのだろう。

 年に4回発行している熊本県の短歌会から2021年7月号が送られてきた。この号からひとり10首の詠草を投稿することになった。いままでは8首だった。

 わたしの短歌は永井陽子さんの遺品の展示会を大宮図書館に見に行ったことを

詠んだ。まだ未消化な歌がほとんどだが、ひとつの出発点として永井陽子さんを詠った歌を残したかった。

 短歌誌とともに次号の原稿依頼が同封されていた。今回の7月号の皆さんの作品から10首いいと思った歌を選んでくださいというものだ。そろそろ依頼がありそうと思っていたので、ほぼ予想通りだった。

 さっそく、皆さんの歌を詠んでいい歌と思ったページにしおりをはさんだ。

 この季刊誌をお送りする予定の岡山県に住んでいる知人に電話をした。先方からその方が中心となって発行している同人誌を送っていただいたので、その返礼としてこちらの季刊誌を送ることにしたのである。

 知人はご主人と岡山県の県境にある有名な神社に花を見に行って帰ってきたばかりなので、あとでかけ直すと伝えいったん電話を切った。40分ほど後にかけ直し、30分弱話した。

 この知人はさまざまな短歌大会に作品を応募して、最優秀賞など何回もとったことがあるとのこと。昔のことだけど、と謙遜しているが上手な歌を詠われる方だ。

 夜のテレビで人間が流す涙の効用を論じていた。涙を流すことでストレス解消になるそうだ。交感神経から副交感神経への切り替わりが睡眠より格段に速い。

 さっそく試してみたくなり、柴犬レオを思い出しながら涙を流した。最初はそんなに悲しくなかったのが涙を流すと信じられないほど悲しくなった。こんな悲しみを体験して、よくここまで生きてこられてものだと思ったあたりで、悲しみが少しづつやわらいできた。