明治神宮月次献詠歌に選ばれた、本当に久しぶり

 雨が降ったり止んだりの一日。

 午前中、家を出て国会図書館に足を運んだ。月曜と水曜を先週、入館予約しておいた。

 今週は二回目なので、けっこう図書館に慣れた感じで、無駄な力を使わずにスムーズに閲覧したい本を請求したり、コピーをとることができた。

 昼食ははじめて新館3階の喫茶店を利用した。広々として、ゆったりと人が座っている。誰もがひとりで同じ方向を見て食べている。ちょっと異様な光景でもある。同じ方向を見ているのは、窓越しに木立の緑や遠景のビルやらが眺められるからだが。

 わたしも同じ方向を見ている人たちと同じように座った。ランチは3種類で一つは売り切れ、もう一つはスパゲティなので、残りの定食を頼んだ。メンチカツと春巻き、マカロニサラダと野菜の付け合わせ。ライスは小にした。

 昼食後は閲覧請求した本を読んだ。コピーも1枚だけ取った。雑誌に掲載のエッセイや短歌などは掲載されているものを全部コピーがとれるが、単行本は二分の一しかコピーをとることができない。

 例えば2ページにわたって短歌が15首掲載されているときは、どちらかのページしかコピーできない。

 『モモタロウは泣かない』という永田陽子さんが書いたエッセイなどの散文を集めた単行本を閲覧請求した。この本に4人の歌人が栞を書いている。永田陽子さんへの追悼文でもある文章だ。とてもいい内容の文章なのでコピーがほしかったが半分までしかコピーがとれないのであきらめた。

 この本を買うことも検討したい。

 3時半ごろ、国会図書館を後にした。最寄り駅に直結のビル内で少し買い物をして家に歩いて帰った。雨が降り始めたので傘をさすが途中で止んだ。

 門扉の横の郵便ポストを手探りすると、郵便物がいくつかあった。

 その一つが毎月末に届く明治神宮月次献詠会の冊子である。冊子と言っても二つ折りのものだが、5月の題詠で選ばれた短歌が掲載されている。

 あまり期待しないで選外佳作のほうから目を通すとわたしの名はなかった。ではと表紙のほうの預選や次点のほうに目を転じると、自分の歌と名前を見つけて驚いた。

 この月次献詠会では昨年の1月以来、選ばれたことがなかった。1年5か月ぶりである。

 この1年5か月にいろいろなことがあって、振り返ると気持ち的に短歌に集中できない時期が長かったように思う。

 思えば1年5か月前は武蔵小杉の歌会の先生もまだこの世におられた。その先生にいい歌と評価されたものを月次献詠会に送ったことが思い出される。その後、昨年の6月に先生は亡くなられた。

 わたし自身は8月から10月くらいまで精神的に不安定になり、適応障害のような症状が出て、辛い思いをした。そのあとは少しづつ回復してきた。

 いまはすっかり治ったかどうか。自信がはないが今回選ばれた歌を選者の方が寸評していることばに勇気づけられた。

 「みづからを冷徹に、すこしユーモアをこめて詠み得る精神のすこやかさ。」

  自分を冷徹にユーモアをこめて詠むことができるなら、わたしは回復したのだろう。

 もちろん、精神的なことは一直線には良くならないような気がする。ジグザグとしたり、寄せては返す波のように揺れ動いたりするだろうが、きっと大丈夫と自分を励ましたい。