昨日は武蔵小杉の歌会、見学の人が参加

 昨日は猛暑日になり、陽ざしが強い、ぐったりとするような天気だった。

 午後1時から武蔵小杉で歌会が開かれるので、いちばん暑い時間にでかけた。でかける前のラインのやり取りで、蒲田の歌会に参加している人が見学として来ることになった。

 武蔵小杉駅前にある中原市民館の2階が会場となり、昨日はいつもののメンバーが二人休み、一人見学の人がいるため、6人で歌会が開かれた。

 見学の人にも互選に加わってもらい、詠草のプリント(18首)から5首選んでもらった。

 わたしが司会を務め、1首づつ、その歌を良いと思って選んだ人を中心に歌について感想や講評を述べた。見学の人はこちらが指名してもその短歌について何も言うことが2ときは何もないと言った。これは今までの参加者にはなかったことで、わたしもいいと思わわない短歌を無理に取り繕うことはないと発言した。よくわかる短歌とか、意味が通る、わかりやすい短歌とか、なんとか言わなければと、取り繕うことになんの意味があるのだろうと常々思っていた。

 他の人も倣ってか、いつもより本音で言うことがあり、悪くはないなと思った。ただ、あんまり殺伐とした雰囲気になっても困るので、うまくコントロールすることが必要だろう。

 いつもより時間を多く使って歌会が終わった。わたし自身は最近のここの歌会に気持ちが乗らないことが多かった、時折、まったく違うことを考えているなど集中が途切れ、興味も薄れてきていた。昨日はそういう事がなく、かなり集中して歌会を進めつつ、わたし自身も楽しく参加していた。

 ただ、最近短歌の調子が良くなく、あまりいいい(と思える)歌が詠めていないのは気がかりであるが。

 昨日の歌会のあと、見学の人も参加していつもの店に5人で行った。ここでも充実した話ができた。もちろん、楽しい話も。武蔵小杉の歌会に参加している人のひとりや見学の人が明治神宮の月次献詠会に参加したいと言い出し、ただ楽しいだけでない集まりを持てたと思う。

 

 今日、土曜日の午前中は、昨日の歌会に参加しなかった人に、その人の短歌について歌会で話したことをやや詳しくまとめて郵送した。ただ、このようなことはこれで最後とした思いがある。相手はうれしいだろうがこちらは負担が大きいので、そのことを伝えたいと思っている。

 次の歌会の詠草をまとめる人が昨日の歌会を休んだので、参加したみなさんの次回のの歌会に向けた短歌を4人分(わたしも含め)同封して投函した。

 歌会関連のあれやこれやを終えてから、永井荷風の『荷風随想集』(1)を読んだ。「日和下駄」など、大正初期の東京を散歩した荷風の随想がまとめられている。わたしも時間を見つけて、東京の下町を中心に歩いてみたい。大正3年と令和4年では歳月の隔たりが大きすぎて、荷風の随想に書かれた東京はあまり残っていないと思うが。

 昼食後、疲れがどっと出て仏間に敷いた布団に横になり、数時間昼寝をした。起きてほとんどすぐ、バスに乗って等々力駅前のカフェに行った。永井陽子さんのエッセイ集『モモタロウは泣かない』を持って行った。この本の最後のほうにまとめられている遺稿のエッセイは、同居の母親が病に倒れてからの闘病と、倒れる前の衰えていく母親との生活を綴っていて、大変な生活を語りながらもユーモアを感じさせるひと言が効いていて、すてきなエッセイである。