2月はわたしの誕生月

今日から2月が始まる。2月は28日間しかない。短いけれど中身の濃い1か月にしたい。

 わたしが生まれた月だから。如月という言葉が好きだ。

 老犬ももこがこの家にいたときの2月に詠んだ短歌。わたしが詠んだなかで一番好きな歌だ。この歌を口ずさむと、ももこがいた2月がよみがえる。炬燵のある居間に老犬ももこといっしょにいた2月の雨が降る日。庭を眺めたくて、洋室に行き窓から雨にしずくする葉のない桃の木やスモモの木を眺めた。桃のつぼみに雨がしずくとなって光っているが印象的だった。

 ももことの暮らしが春になっていいほうに向かうように願いに似た気持ちをこの歌に込めたが、現実はそうはならなかった。このことがこの短歌に対する思いを深めた。

 

桃の木に二月の雨がしずくしてふくらむつぼみきらめかせをり

 

 二月の雨の日はきっと今年もあるだろうが5年前のももこがいた雨の日はあの日ひと日だけ。わたしは繰り返し窓からのあの日の風景を見るために洋室に行く、こころのなかで。

 妙にセンチメンタルになってしまった。

 今日は2月の初めの日なので、1月に詠んだ短歌をワードでまとめた。1月27日くらいからの短歌だ。ノートに走り書きした短歌をワードの清書しながら、推敲していく。推敲というより、かなり改変を加えることもある。走り書きの時は思いつかなかった言葉を思い出したり、短歌がよりよくなるアイデアがひらめくこともある。

 1月はパソコンを新しくしたので、1月の短歌は古いのと新しいのと2つのパソコンにまたがっている。

 古いパソコンで入力したワードの文書をDVDに読み込んだ後、データを詳細にチェックすると6月と7月の短歌というファイルがないことに気づいた。いや、ファイルはあるがアクセスできない。ファイルが違う名前に変更されたか、ファイルを削除した可能性があるとエラー表示される。

 最悪、ファイルが見つからない場合はノートから再度、ワードに入力すればいいので、詠んだ短歌そのものがなくなってしまったわけではない。

 

ワードで1月の短歌を入力し終わると5時近くになり、外が暗くなり始めた。体を動かしたくなり、散歩の用意をして外に出た。小さなペットボトルに水を入れ、バスのシルバーパスと、少額のお金をポシェットに入れた。

 暗くなるばかりの街を等々力不動のほうに歩いた。川沿いに上流に行く。等々力不動は高台にあるので坂を上って行くが、この坂はそんなに急でなく、急な坂に慣れているわたしにはぜんぜん大丈夫。途中立ち止まり、今来た方向(坂の下のほう)を眺めた。

 今日は等々力不動を通り過ぎ、等々力駅まで歩き、駅近くにあるドトールというカフェに入った。5時半ごろだと思うがかなり人が入っている。ほとんど一人客だ。間をあけて飲み物を飲むとき以外はマスクをしている。わたしも一人客のひとりとなって、いごごちのいい時間を楽しんだ。一人客が多いので話声があまり聞こえない。周りに人がいるが、ひとりひとりは「ひとり」なのだ。

 誰もが前を向いているがその前に誰もいなく、視線は自分の中に向けられているのだろうか。

 ラインのキープ機能を使って自分あてにたくさんの短歌を送った。

 この店は16年前、郷里の新潟に帰る友だちと一緒に入った店で、柴犬レオを連れて多摩川の河原を歩いた後だったのでレオは店の外につないでおいた。その友だちとこの店で話したのは1月で、友だちはその9か月後新潟の病院で悪性腫瘍で他界した。二十五年くらいのつきあいの友だちと最後に会って話した店と思うと、しかも犬もいたと思うと過ぎた歳月への感慨が身に染みた。

 

今生の別れとならむを知らぬまま友と語らひし店今日はひとりで

 

あのときは友とわが犬ともにをりし私鉄沿線駅前の店

 

知らぬ人ばかりの店に座るわれ つながることの意味を知るかな

 

ひとり喫茶を楽しむ人多き夕われもまじりてスマホをいじる