繊月を見る

 晴れて気温が上がった。午前中早い時間は居間のエアコンを使ったが日中はエアコンをオフにして堀炬燵だけで暖をとった。

 お昼近く、最寄り駅までの道のりの半ばくらいに住む従妹に電話した。母親が昨年の

11月に骨折をして入院していると年賀はがきで知らせてきたので、お見舞と様子伺いの電話だ。

 従妹は実家に住んでいるが独身で、二階に結婚した姉が夫と共にいる。叔父〈わたしの母の弟)は数年前亡くなり、奥さんが骨折して入院中だ。

 コロナウィルスの感染をさけるため、病院には面会に行けず、手術室に行く様子を見守ったり、介護保険の調査のときに離れて手を振りあったりなど、母親と話したり、ふれあったりがほとんどない。ほんとうに寂しい入院生活を送っている。

 こういう状態でリハビリ病院に転院させてもいいのだろうか。思い切って家で介護をしたほうがいいのではないだろうか。従妹はかなり真剣に迷っていた。

 会えないままに死に別れてしまうのではないかという不安、心残りがあるようだ。

 この叔父の奥さんは12年前のわたしの母の葬儀の時、わが家まで来て通夜と参列してくれたが次の朝自宅で転んでしまい、その時も骨折をして入院した。骨折での入院は三度目くらいだと思う。

 従妹に自分の事もいたわって過ごすように、無理をしないでと話して電話を切った。

 

 夕方、コンビニに買い物に行くとき、夕ぐれの西の空に細い月を見た。今読んでいる築地正子の歌集『みどりなりけり』に繊月と詠まれている月だ。

 

繊月の蒼き刃をもて刈りぬべくすすきかるかや誰が秋も濃し 『みどりなりけり』

 

『みどりなりけり』読みて知りそむ繊月を買い物に行く夕空に見る