父の七回忌

 昨日は父の七回忌法要を菩提寺におこなったが今回は予想外のことが連続しておこった。
 最初は11人の出席を予定して進めていたが前日に5人が来れないことになった。甥がインフルエンザにかかり家族全員が欠席となったのである。
 さらに当日〈昨日)の午前中、三人が来れなくなった。姪とそのこどもひとりが風邪をひき、もうひとりのこどもは大丈夫だがひとりで出るのは嫌なので欠席した。つまり三人だけの法要となった。
 お寺の本堂で御住職のお経を聴きながら、亡くなって6年たつ父のことを思うより今回の法要のことをあれこれ考えて気持ちが落ち着かなかった。わたし自身も回忌法要をすることに気が進まず、ごく狭い身内のひとたちもあまり気のりがしないようだ。インフルエンザにかかったり風邪をひいたりはどんなときでも起こりうるので、法要に出ることが気が進まないからとは考えたくないが気持ち的にどこかゆるみがあるのではないか。
 父母には申し訳なく思う。元気で父母の法要を執り行えることを有り難く思うように気持ちの切り替えを念じてなんとか法要の終わりごろにそういう気持ちになれた。ささやかでも続けていくいかないかな。
 墓前に新しい供華を供えて、お線香をあげ手をあわせた。孫やひ孫の姿がないので寂しく思うだろうか、いやそんなことはない。死んだ人は生きているわたしたちよりずっと達観してしているような気がする。
 近くの店で弟とその奥さん、わたしとで会食を楽しみ、昼間からお酒を飲んだ。日頃あまり話す機会がないのでいろいろ話せたのはよかったが大切なことはあまり話さなかった。
 店を出てわたしは近くに住む叔父〈母の上の弟〉の家を訪ねた。日曜なので奥さんと娘さん(わたしにとっての従妹)も家にいてあれこれ話した。ベッドで休んでいた叔父も起きてきて話に加わった。パーキンソン病となり身体が不自由だが顔色が良かったので安心した。叔父は次の東京オリンピックまでが目標と話した。大丈夫、きっと。
 七回忌の法要を終えた今朝、なんとなく部屋の空気が変わったように思えた。昨日と今日は続いていて何の変わりもないように思えるが何かが変わったようにも思える。

 三日過ぎて気づける犬の月命日しら梅ひと枝供え詫びたり

 厨に置くオリーブオイル固まらず寒さ緩む日の続きたれば

 啄木の歌に詠まれし不来方の高校球児十人(とたり)のみと

 風邪のため三人(みたり)だけの法要をすましたり父の七回忌

 庭道に紅の梅こぼれ落ち夜明けに雨の降るを知りたり

 レモンの常緑の葉に陽がたまり濡るるがごとく光りおり

 くれなゐの梅の盆栽咲きしかば花の数の少なきを寂しむ

 父のため買いし梅の盆栽の年ごとに花少なきをさみしむ

 パソコンに見る愛犬の昨年(こぞ)の姿 余命みじかき老いたる顔よ