ちょっと疲れを感じた

 久しぶりに雨が降った。今のところ小雨である。ただ、まだ外に行っていないので窓から見ただけだ。
 ここでやっと外に出て郵便受けにある新聞を取ってくる気になった。パソコンの前を離れて庭の通路を歩くとぽつりぽつり降っている。水瓶の表面がときどき動くのは雨粒が落ちるからだ。家の前のアスファルトの道路は濡れている。こんな感じの雨が降り続けたのだろう。
 昨日は叔父の葬儀があった。仏式でも神式でもなく、お別れ会と遺族の従妹はあいさつのときに言った。音楽が流れ、参列者は霊前に1本ずつ花を手向ける。遺族である従妹ふたりが叔父の生前のエピソードをマイクの前で語った。孫もひとり祖父との思い出を語った。叔父は旅行が大好きでひとりでもツアーに参加したし、奥さんや娘たち、孫たちも連れて大家族の旅行を楽しんだようだ。84歳の時、家族が止めるのも聞かず、ひとりで北海道旅行のツアーに参加し、ひとり旅はこれが最後と遺族が話した。
 お別れ会や斎場での一通りを終え、お清めの席にもついて4時間余り。通夜や告別式がなく、一日だけの葬儀だが参列する人が高齢化することを考えると生きている人にやさしい葬儀に思えた。僧侶にお経をあげてもらわなければいけないという人もいるだろうがわたしはこだわらないほう。
 簡略化した葬儀でもやはり疲れたようだ。今日は久しぶりに炬燵に入っていると身体を横たえたくなった。眠りはしないが体が重い感じ。
 叔父は母方の兄弟で最後のひとりだったので、喪失感があるかもしれない。この十年近くで自分の家族をすべて見送ったので、人の死に対してどこか諦観のようなものがあることも確かだが。
 明日は新年初の武蔵小杉の歌会。送られてきたみなさんの歌を選歌し、歌会の日に提出する自分の歌2首を作り選んだ。今年も目標は高く持ちたい。届かなくても届こうとする気持ち、その努力が大切。もちろん、届くための方策も必要だ。

 黄ばむ葉を年越へたもつ紫陽花は小寒過ぎて力つきたり

 庭隅に敷きつむ枯れ葉ふゆを越すいのちはひそかな熱を発せり

 太さ小指ほどの黒蛇 みずがめの目高のみこめど悲鳴聞こへず

 わが背丈ずつと前に追ひ越せる紅梅の花まぶしみあふぐ

 冬空に祈りのやうに枝伸ばし紅梅の花ぽつぽつひらく