妙にあたたかな11月2日

 陽射しは午前中早い時間はあったが、時間が進むにつれて雲が多くなり曇りとなった。

 風がなく、妙にあたたかな空気が11月とは思えないほど。天気が崩れると誰かが言っていたがそんな気がする。

 午前中早い時間にラインのやりとりをしたが、ボタンの掛け違いみたいなやりとりだった。

 ラインのストレスをやわらげるため、いつもの高台の公園まで歩いた。古墳の縁に添うように置いてあるベンチに座って、遊具のある芝生の広場に遊びに来たこども連れの人たちを眺めた。

 母親と遊びに来たこどもと、保母さんの引率で来た保育園のこどもたちが遊んでいる。同じ年代なのに遊び方違う。保育園のほうは保母さんの指示で集団で遊んでいる。親といっしょに来た子は親と遊ぶ子もいるし、こどもだけで遊具に集まって遊ぶ子もいる。

 わたしがこどもの頃はどうだっただろう。保育園は行かず、幼稚園だけは行ったので幼稚園ではみんなと遊んだにちがいない。母親と公園に遊びに行った記憶がないが、残っていないだけで行ったことがあるかもしれない。母は専業主婦だったので、学校から帰るとほとんど必ず母がいたことをおぼえている。

 つけ汁を付けて食べる昼食のうどんを作るため、足りないものを近くの店に買いに行ったら、冷蔵庫の入れ替えのため3日ほど休むと張り紙が。しかたなくありあわせのものでつけ汁を作ったが思ったよりおいしく出来て、ありあわせ料理も捨てたものではないと実感。

 午後は自分の思いをノートに綴ったり、短歌を詠ったり、歌人の石川不二子さんの歌集『鳥池』を読んだ。

 精神状態の不安定がやはり続いているので、ノートに綴ることで自分を客観視できれば、と思ったがかえって客観視しない方がいいのではないかと思うようになった。

 自分のこころを自由にさせようと思った、せめてこころくらい自由にならないと生きていてもおもしろくないではないか。

 ただ、夕方、柿落葉を掃いていたら何の意味もなく涙が落ちてきて困った。悲しいことを思い出したから泣いたのではなく、泣いたことで悲しいことを思い出した。するともっと泣きたくなってさらに困った。

 掃除を中断して家に戻るとスマホに着信があった。鼻をかんで誰からか見ると朝方、ボタンの掛け違いラインをやりとりした人からだったので、こちらからかけた。

 

道走る枯葉いちまい吾(あ)を追いかけ駐車場まで入り来たりぬ

 

背後からカリコロの音振り返れば枯葉いちまいわれに寄り来る

 

雲の下飛ぶ飛行機を見上ぐればいつしか雲に隠れて音ひく

 

友だちと会へてうれしき幼心手でたたきあひふたりじやれ合ふ