九月一日締め切りの短歌大会に送る歌を決める

 今日も東京は猛暑日だった。

 朝と昼、夕方と目高の餌やり、植木鉢の水やりだけはしたが、それ以外は家にこもっていた。

 朝は5時前に目が覚め、6時からのNHK短歌を見たがこの前見たものの再放送だった。冷蔵庫の題詠を、直喩による表現を使うというルールがある。2回見てもなかなか面白かった。栗木京子さんは明治神宮月次歌会の講師をされていて、いつもなら年に2回は栗木さんが出された当座の短歌を詠み、氏の講評を聞くことができるのだが今年は歌会が中止でお会いすることができない。

 月次歌会が開かれない寂しさをしみじみと感じたし、短歌の上達にも影響があるのではないかと思った。

 午前中、武蔵小杉で開かれる歌会の先輩に電話をした。こちらの歌会は先生が亡くなったので、中途半端なまま9月の歌会を予定している。

 先輩との電話はほとんど相手の話の聞き役で、これもしかたない。

 わたしはこの歌会を先生がいないままずっと続ける気持ちがあるのかどうか。いつか答えを出すときが来るだろう。それまでは手探り状態で続けることにする。続けるからには仲間たちにもわたしにもよりよいものにしたい。

 先輩と電話している間、近所の友だちから電話があったので、スマホで話し中なのであとでこちらからかけ直すと伝えた。

 1時間近く話し電話を切り、その友だちに電話をした。昨日、わたしが電話した時、短く話して電話を切ったが、それが友だちの家の猫がおしっこをしたため後始末が必要で、電話を切りたかったとのこと。それをすまなく思っての電話だった。いつもは長電話が好きな友だちにしては変だなとは思ったが、いつもいつも長電話はできないだろうと思っていたのでぜんぜん気にしていなかった。それを気にかけて電話をくれた、優しい友である。

 この友だちとの電話は50分ほどで終わり、昼食の時間となった。

 昼食後は眠くなったが、眠らないようにした。

 九月一日が締め切りの大田区短歌会会に送る短歌2首を、八月に詠った短歌から選んだ。B5の原稿用紙に書き、封筒に入れたが参加料の千円を小為替で送るので明日、郵便局で手に入れてから同封して投かんすることに。

 夕方は目高に餌をやった後、散歩に出た。バスでまず公園まで行き、帰りだけ歩くと言う散歩だ。

 バスに乗ってからマスクをしていないのに気付いた。バスのなかはすいているのでそんなに圧力を感じなかったが、乗客が多かったら中にいられないかも。

 そのままバスで公園まで行き、なんとなくそそくさと歩いて帰ってきた。マスクをしていない、もしくは持っていないと散歩さえもリラックスしてできない。マスクは自分を安心させ、まわりも安心させる、大切な必需品になってきたようだ。

 よく持って行くバッグやカバンに一枚は予備のマスクを入れて置くようにしよう。

 

コロナの春孵りしメダカ子を作り庭の水がめにぎやかになる

 

四年前のブログを読みて老犬を失いひし後の悲嘆に向きあふ