昨日は横浜トリエンナーレを観に行った

  昨日、金曜日は午前中に家を出て、横浜美術館で開催中の「横浜トリエンナーレ」を観に行った。

 その前に、わが家を訪れる人がいた。この前、玄関の外に玉葱と黒豆茶が入った袋を置いてくれ近所の奥さんで、外出の予定があったが家に入ってもらった。

 家を出る時間を告げ、あまり時間がないがと伝え、麦茶を出して少し話した。すぐ近くに置いてあった短歌集を見せて、わたしが短歌をやっていることを話した。  

 すると、江戸雪の歌集をぱらぱらとめくり、心のひだが詠われていると鋭い言葉。亡くなった先生の歌集を見せると、たまた江川投手の問題などま巨人軍の悪口を詠った歌がいくつも並んでいるところで、おもしろい歌やなと。

 この奥さんにいつかわたしが詠った歌を見せたいような気がした。

 時間が無くなったので、奥さんといっしょに家を出た。彼女は郵便局へ。わたしは反対方向のバス停に向かった。

 横浜美術館みなとみらい線みなとみらい駅を降りて、すぐのところにある。

 予約した時間より少し早めに着いたので、館内で時間をつぶしてから展示場に入った。

 2020年y小浜トリエンナーレのテーマは「光の破片をつかまえる」。

 エントランスの天井高く展示された作品は、光の破片のようなオブジェが無数につり下げられ、あるものは動力で回転し、あるものは自然な風で動くようになっている。これらのオブジェのなかにピストル のような不穏なものがいくつか混じっているとのことだがいくら見ても見つけられなかった。

 昨夜の睡眠不足がたたり、薄暗い展示室に入ると眠気が襲った。短い映像作品があるのだが、これも眠気に勝てなかった、見たい気持ちと眠気が争い、眠気に負けてしまった。

 千人針をモチーフにした作品があった。千人針は戦地に赴く大切な人の無事を祈って作られるものだが、この思いが国家の戦略に組み込まれてしまった歴史的な過誤を問いている。

 日々の生活で愛用した身近な品々が壊れた後、発光する絹糸で繕ったものを作品とした展示があった。わたしも思い出がいっぱい詰まった愛用品をこわしてしまったときのショック、どうにもできない空しさを感じるので、このように壊れたものを慈しむ視点に深く共感した。

 眠気はあったが、それでもかなり楽しめた。眠気がなくても全部の作品を同じウェイトで鑑賞するのは体力的に無理かもしれない。好き嫌いのフィルターもかかるし。

 

 今日は昨日の疲れが出て、家でのんびりした。たまった新聞を読んだり、午後は昼寝をした。午前中、近所の知り合いの奥さんを家に呼んで、わたしが着れない洋服を3枚もらってもらった。その奥さんは洋服の縫製や小物作りを仕事としているので、小さなポシエットを作ってもらうことにした。

 

 

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横浜美術館のエントランスで展示されている「横浜トリエンナーレ」の参加作品。

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触ったり座ったりできる参加作品、わたしも座ってしばらく休んだ

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電気製品分解物質で作られた作品