今日は4年前の8月26日に亡くなった老犬ももこの命日。
朝早めの時間に、近所の友だちがお線香をあげに来てくれた。この友だちの家にも柴犬の老犬がいたので、ももこが元気な頃はときどき散歩をしていた。柴犬は桃より少し年下の雌で、ももこの唯一の散歩友だちだった。ももこはいつもお姉さん風を吹かせていた。
ももこの遺影を前に、友だちはよくいっしょに歩いたね、もっといっしょに歩きたかったねと話しかけた。わたしにあと数年、うちの犬が散歩をしているうちはいっしょに歩きたかったね、と言った。
ほんとうにわたしそう思っていたので、このことばに涙があふれそうになった。老犬ももこが一年五ヶ月あまりしかわが家にいなかったことを、受け入れがたいがなんとか受け入れようとした歳月だった。
受け入れたわけでなく、歳月がこころの痛みをやわらげてくれた。だが本音はもっと、ももこといっしょにいたかった、なのである。だから友だちの、もっといっしょに歩きたかったねということばを聞いて、胸が疼いた。どうしようもないことに向き合う辛さがあった。
わたしは大泣きはしなかった。友だちも愛犬を今年亡くしたので涙を流していた。だがふたりとも何とか気持ちを立て直した。
帰り際、庭に生えている紫蘇を抜いて友だちにあげたら、喜んでくれた。こんな小さなことでもさきほどの悲しみをやわらげてくれる。
ももこのことで気持ちがぐらつき、この気持ちのまま家にいたくなかった。
世田谷美術館で作品の展示がない展示会を開催中だったので車で行くことにした。
お昼前に家を出た。東名高速入口のところで左折することができず、美術館の無料駐車場に入り損ねたので、有料の駐車場に入れた。
いつもなら、何らかの作品を展示している美術館の展示スペースそのものを、作品の展jなしで見ると言う展示会。想像していたよりも素敵な展示会だった。こころのなかに光が満たされ、風が通り抜けた感じがした。浄化ということばがあたる。
作品と対峙するという緊張がなく、作品との対話もないが、かえってこころがほどけるというか、開かれるというか。あれもこれも、と欲張って見るより、なにも見ない幸せもある。見るものはそこにあるもの。展示スペースは窓から見える庭の風景と窓から注ぐ外光によって、一つの作品にもなった。そこを歩く人、立ち止まり、写真を撮る人も風景に変えてしまう。わたしも人から見れば風景のひとつ。
この美術館で開かれたイベントの光景を壁に映し出す部屋があった。ここで薪能を鑑賞した記憶があったので、スタッフの方にイベントとして薪能が過去にあったかどうか尋ねると、調べてあとで受け付けのスタッフが回答するとのこと。
受付に寄ると、三十年前にこの美術館の庭で薪能が催されたと答えてくれた。美術館の主催ではなく、東京都か世田谷区の主催のようですとのこと。
もう三十年もたったのか!深い感慨におそわれた。薪能の一夜は、わたしのなかで
大切な思い出のひとつだがそんな昔のことだったのがショックだった。この薪能一回でそれ以降、開かれることはなかった。
美術館のスタッフの方によると、ちょうどバブルの頃で資金が潤沢だったことも関係あるかもしれません、と。バブルは日本の伝統芸能にも影響を及ぼした。より多くの人に気軽に能の世界に接してもらう試みは意味があったと思う。
美術館を出て、公園内の桜の木の木陰に置いたベンチに座った。スマートフォンを出して、ラインで短歌をメモリ、自分宛てに送った。少し離れたところで、父親と女の子が遊んでいる。大きな水鉄砲を持っている。女の子は細い枝を持って、桜の落葉をかき寄せている。こどもは何でも遊びにしてしまう。
8首ほど短歌を詠んでから、車で家に帰った。
ここで話は終わりではなく、またこの美術館に戻ることになった。
家に着き、指輪がないことに気づいた。美術館に電話し、探してもらうことにしたがすぐ折り返しの電話があり、ランチを食べた店に届けられていると伝えられた。
さきほど行ったところに車で戻り、指輪を受け取ってまた帰ってきた。
美術館のいろいろなところに手指の消毒のためにアルコールが置いてあり、4~5回以上使った覚えがある。その時指輪落としてしまったようだ。
大木の桜の木陰に守られて父は昼寝少女は遊ぶ
蝉時雨少女と父に降りそそぎ桜の木陰のやさしき抱擁
晩夏光老いたる鴉着地す美術館の灼けつく屋根に