短歌誌に送る詠草8首を決めた

 今日も雨が降ったり止んだりの天気。

 昨日よりは雨が降らない時間が長かった。

 布団カバーとシーツを洗ったが、風があるので乾いたが、乾きかけたところで急に雨が降り、急いで取り込んだ。そのまま室内で最後まで乾かした。

 短歌誌に送る詠草8首は部分的な手直をしたが、これでいいとは思えない。

 どうしようか考えながら、白洲正子著の『私の百人一首』を拾い読みした。わたしの好きな和泉式部のところを読むと、百人一首にとりあげられた短歌以外にも和泉式部の短歌がいくつか紹介されていて、そのひとつにわたしが詠った短歌に用いたことば使いが使われていた。ああそうかと納得した。こんな言葉使いどこで覚えたのだろうとと思っていたからだ。

 

物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂(たま)かとぞ見る(和泉式部 後拾遺集

 

 和泉式部の短歌をどこか覚えていて、その言葉使いを自然に(無意識的に)自分の歌に流用したようだ。

 日中はいろいろやることがあり、夕方になり時間ができたので散歩に行こうかと庭を見る幸いにもと雨が止んでいた。

 麦茶とスマートフォンを持って外に出たがマスクを忘れたことに直ぐ気づき、引き返してマスクをして散歩にでかけた。

 いつもの古墳山のある公園に向かった。公園のいちばん端の紫陽花苑までは行かず、その一つ手前の高台にある東屋まで歩いた。眺望は少し低くなっている紫陽花苑よりここからの方が断然いい。電車が行き来する多摩川を渡る鉄橋と、スカイブルーの自動車と人が渡る橋、さらにその向こうに新幹線が渡る鉄橋が眺められる。

 この東屋がこの公園では一番か二番目くらいに眺望がいい。橋が眺めたければここがいちばんで、多摩川の流れを眺めたければ他にいいところがある。

 この散歩で詠んだ短歌3首をメッセージに入力して自分宛てに送った。この三首は9月の歌会のための短歌として明日提出することに。8月は武蔵小杉の歌会は夏休みとなるので、7月の歌会が終わると次の歌会は9月に開かれる予定だ。

 

教会の六時の鐘が曇天の空に光をふりまくごとし