昨日の強風がおさまり、おだやかな一日となった。
今年は桃の花がきれいに感じられてしかたない。梅の花、スモモの花、桜の花・・・・どの花も好きだが今まで桃の花はやや軽んじて見ていたところがある。
だが今年は桃の花が心にしみてくる。桃色の大きめの花が春の陽射しをあびて楽し気に咲いているのをしみじみと眺めた。
桃の木はこの庭ではあまり優遇されていないというか。この庭では生きづらいように思う。
枝を横に大きく拡げる性格があり、他の木と重なり合うので、つい桃の木の枝を切ってしまうことが多い。拡げた枝を切ることでだんだん樹勢が落ちてくるような気もする。
父が植えた3本の桃の木のうち1本は枝を伸ばしても伐られてしまい、さらに左右に植えたスモモの木に陽をさえぎられ、ついには枯れてしまった。生きづらい環境でがんばって生きている桃の木の花が今年はきれいに見える。
昨日死んだ友だちの愛犬は、老犬ももこと何回かいっしょに歩いた仲だった。老犬ももこが一緒に散歩したのはその犬だけだったので、死んだことで在りし日のももこが思い出されてならない。
その犬より年齢が上だったももこはいつも前を歩こうとして、わたしのほうが年上よとアピールしていた。ちょっと威張っていたももこがなつかしく愛しい。
まだこどもの犬に好かれてしまい、遊ぼうとまといつく犬を振りきるように歩いていた在りし日のももこを思い出した。わたしの家にいたのは1年5か月あまりと短かったが
いろいろな犬とそれなりの交流があり、楽しそうにしたり時には怒ったり、様々な感情をわたしに見せてくれた。
元気な頃のももこがいっしょに歩いた犬が死んでしまい、ももこがいた時が少し遠のいたような、そんな気持ちにもなる。
咲く前のソメイヨシノがわが庭にひつそり立てり弥生の夕べ
陽当たりにやや難のあるわが庭に枝を伸ばして桃の木生き延ぶ
陽当たりにやや難のあるわが庭に枝を伸ばして桃の木生き延ぶ