今年のはじめての武蔵小杉の歌会

 2019年、初めての歌会が開かれた。武蔵小杉駅前のビルの会議室で開かれる少人数の歌会だ。
 ひとりの仲間が歌会をやめることを運営委員を務める人から知らされた。昨年の初め頃からいつもと様子が変わり始め、どうしたのだろうなとずっと思っていた。こういう結論になったのかと意外でもあり、こころのどこかで納得しているところもあるがやはり寂しい。
 この歌会をわたしに紹介してくれた歌友なので残念だ。同じ先生が主宰しているさらに少人数の歌会は続けるとのこと。わたしも参加している短歌誌〈年に4回発行〉も続けるとのこと。
 歌会の仲間に不満があったのだろうか。歌会の運営の仕方に不満があったのだろうか。その両方のような気もする。
 わたしが詠んだ2首はどちらもあまりいい評価が得られなかった。先生にはかなり手厳しく批評された。主語と述語が離れすぎていると。アララギの歌会だったら、批評の対象にもならず「はい、次」と言われるような歌だと言われた。
 この歌会を生ぬるい歌会・・・・・・と先生自らが言われた。確かに、もう2度と短歌など詠うかと思うほどの批評は受けたことがないがそれで助かっている。打たれ弱いわたしだから。
 ただ、打たれてへこたれる自分ではいけないと思うようにもなってきた。
 一方、短歌を楽しめないよう気持ちにさせる批評をする人をこちらが批判したい気持ちがある。
 船出のときから波高しの歌会だが、短歌を楽しみながら詠んでいきたい。いくつか、こういうことをしたいという目標がある。実現できるよう自分を励ましたい。


 グローバルな荒れ地を生き抜きき猛禽類の目を持つカルロス・ゴーン

 いつの日かなつかしむらん今日のわれを 坂を上りて歌会へ行く