亡き犬たちを偲びながら

3月は週に2~3回出かけることが多く、わたしにしては予定が多い一か月だった。

なんとなく3月を乗り切ったという感じがあり、今日は家でのんびり過ごした。こういう一日が好きなのだが、こういう日には家に犬がいてくれたら、と思ってしまう。

 弟がお昼前に来てお菓子を持ってきてくれた。父母にお線香をあげ手を合わせて、お茶を飲んで帰った。弟は短い間に「今日は寒い」を三回くらい言った。その通りで風が冷たく昼過ぎまで寒く、午後になり薄日がさして少し気温が上がったようだ。

 最近、天気予報があまり当らなく、参考にならないことが多い。予報ではもう少し気温が上がるはずだった。

 ブログの「こよみモード」で2014年までの同月同日のブログがすぐ読めるが、老犬ももこがこの家にいた2015年3月、2016年3月のブログは読むことができない。タイトルだけ読めば内容がわかる。読んでしまうとありありと思い出すので辛いからだ。

 柴犬レオがこの家にいたのは2013年6月までなので「こよみモード」では読めない。レオの思い出と遠ざかっているような気がして、ブログではなく、パソコンに保存してある写真ファイルを開いて見た。

 ちなみに柴犬レオと老犬ももこがいた頃の写真はパソコンのなかにもDVDにも同じものが保存してある。

 2013年3月の写真を見ると、どれほどレオが弱っていたかが一目瞭然で辛くなった。写真を撮った2013年3月の時点より、現在のほうがレオを客観的に見ることができ、写真のレオが苦しそうでぐったりとしていることが多く、よく頑張って6月まで生きてくれたなと愛おしく思った。

 ああいうレオとともにこの家で暮らしていたのか。わたしも辛かったんだと今さらのように思った。そんな状態のレオでもそばにいてくれ、どんなに支えになってくれたかと思うと、そんなに弱ったものさえ支えとしていたわたしの寂しさがひしひしとわかる。

 衰え辛そうに横たわったり、身体を傾けやっと立っているレオの写真よりたくさん残

っているのが春の庭に咲く花の写真で、クローズアップで撮ったものが多い。

 わたしはl苦しそうなレオをいつも正視できずにきれいな花たちを眺め写真に撮ることでいくらかの慰めを得て、ささやかな逃避を試みていたのかもしれない。

 

いちごらが鍋に煮とけて深く濃く紅となりて仕上がりぬ

 

わが高校のころに店開きせし薬屋とりこわされてただの土地となる

 

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こちらもえ

 

 

 

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手入れが終わったクレマチスの鉢、ひとつはハーグレイ・ハイブリッドと名前

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近くの川べりの桜、レオやももことよくこの川沿いを歩いた

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これも川べりの桜、夕方薄日が射した頃に撮った