老犬ももこの10回目の月命日

 朝起きて居間のカレンダーを見て、ももこの月命日だなと思った。ももこの月命日はつい忘れて過ごすこともあり、夕方になり気づくこともあった。今日は朝からももこのことを思うことができ、いない寂しさはあるが愛する犬を思える幸せを味わえた。
 先週末と日曜日はあまり犬のことを思い出すよゆうがなかったので、こうしてももこだけでなく柴犬レオのことも思い出すことができるゆとりを楽しんだ。
 昨年の今頃はももこはまだ家にいたのだなとつくづく思った。近くの川のみずぎわに群れとなって咲いている半夏生。みずぎわの草は半夏生以外はぜんぶ刈り取られてしまい、半夏生だけが涼し気に白と緑の葉を風にそよがせている。昨年の今頃も同じ風景を見たのをおおぼえている。レオは命日が6月15日だったので、レオが旅立ってまもなく川べりの草が半夏生だけ残してきれいに刈られ、レオがいた頃と風景が変わったことを寂しく思った。
 昨年のももこはどんどん衰えていく状態にあったが6月はときどきは家の周りの1区画くらいは歩いていたかもしれない。ブログを見て確かめることはできない。今あの時の写真を見ると、ももこの苦しさ辛さが現実にももこを見ていた時とは違う意味で痛切に伝わってくる。
 買い物以外はほとんど家で過ごし、武蔵小杉の短歌会に送る歌を4首どれにしようか吟味した。自分が詠った歌だがこれでいいと思えなくて困る。他にできれば5首まとめて送れる短歌大会があるので有料だが送ってみたいと思い、こちらもこれではないあれではないと迷っている。締め切りは明日と6月末。5首送る方はいい歌がなければパスしてもよい。
 ももこと声を出して呼ぶと、部屋の隅に横になっているももこがむくっと起き上がってこちらを見てくれそうな気が今でもしてたまらない。ももこのおだやかな目がわたしに向けられることはもうないのに。
 暗くなり、夕食の支度に足りないものがあったので近くのコンビニに行った。マンションと一般住宅の間にある車がとおり抜け出来ない広めの道を歩いた。ここを夜となく昼となくももことよく歩いたことを思い出した。この道沿いの家もマンションも、ももこがいたときと変わっていないのでももこがいた頃に戻ったような気持ちになった。


 わが犬の十たびの月命日来て一日(ひとひ)を犬と語らひ過ごす

 犬往きてわが家のめぐり変わりたりなくなる家建てられる家

 老犬がをりし去年(こぞ)と変わらぬは花や草木の還(めぐ)る命

 水際に繁る草は刈り取られ半夏生の群れのみ残さる

 愛犬と過ごせし時を消すやうにわがめぐり大きく変わりたり