陽射しがなく肌寒い一日。
桜の花はどこかぱっとしない。青空のもと咲き誇る桜を見たいものだ。
年に2回開催している岡野弘彦氏の「古典文学と和歌」という講座を聴講した。
今回で三回目である。二回目までは歌友といっしょに受けたが、歌友は遠くて行くのが大変との理由でやめ、ひとりで受講した。
開催場所はJR池袋駅から歩いて5分ほどのところにある自由学園明日館。フランク・ロイド・ライトが設計した味わいのある建物のなかでおこなわれる。
学園沿いの道に植えられたソメイヨシノの花が満開に近く、いっそう趣のある景観が楽しめる。
前庭の芝生では婚礼の写真を撮影していた。
岡野先生の「古典文学と和歌」の講座はいちおう「伊勢物語」と銘打っているが、「伊勢物語」を取り上げたのは1時間30分の講義の最後の15分ほど。
大半は先生の講話で、釈迢空賞の選歌を他の3人の歌人となさった話や、折口信夫氏(釈迢空)の家で8年間寄宿し、折口氏の選歌を手伝ったり口述筆記をされた話、折口氏が他界された後はその残された著述をすべてまとめ編集し、全集として発行する仕事を5年かけて行ったことなどを話された。
折口氏が岡野氏にさまざまな伝統芸能や近代劇を鑑賞する機会を与えてくれたことを感謝することばも述べられた。
短歌は折口氏の家に寄宿していたときにも熱心に詠い、短歌がさまざまな試練を乗り越える支えであり救いになったとも。
今年はすでに三百首の短歌を詠まれたとのことで、4つの雑誌に発表されるとのこと。
いつでも詠えるように小さなノートを持ち歩き、そのノートから作りたての短歌を2首読んでくださった。
1首はご両親が存命されていたころの桜の花を詠まれたもので、もう1首はこどものときの日暮れの寂しさを詠われた。
岡野先生が話された短歌についての講話は胸にひびく深い内容があり、これから短歌を作っていく上でいつも指針となるような内容でもあった。
岡野先生にとって短歌は魂の核になっているもの。
短歌を作るのは、批評する気持が自分のなかの片方にないといい作品ができない。短歌を詠う力、その作品を批評する力がバランスを保っていることが大切で、先生のご自分の作品を批評する力がまだ衰えていないと語られた。
次の講座は9月に開かれると思うができればまた講義を受けたい。
帰りは池袋から東京メトロ有楽町線に乗り、飯田橋へ。駅から徒歩7分ほどのところにある警視庁遺失物センターに行き、落としたパスモとパスケースを受け取った。
JR飯田橋東口から西口方向に歩き、橋を渡って神楽坂を少し歩いて東京メトロ南北線に乗って帰った。
ゴルフバック抱くやうにして地下鉄に体格のよき老人うたた寝す
庭に咲くそめいよしのを母は見てここでお花見できるねと言いき