昨日は今年最後の明治神宮月次歌会へ

 最近、昨日の出来事をブログに書くことが続いた。家への帰りが遅くなるとブログを記すゆとりがなくなることが多い。
 昨日は空気が冷え切って風があまりないのに底冷えがした。陽射しは薄く夕方は雨が降りそうな空模様となった。
 明治神宮で月に一回開かれる月次歌会の日なので、いつもより早めに家を出た。 
 あいかわらず混み合うJR原宿駅前を通り抜け、跨線橋を渡って明治神宮の大鳥居へ。
 会場の社務所はあたたかくほっとした。
 明治神宮献詠十二月「街」の兼題で送った詠草が選者の佐伯裕子さんに預選に選ばれているのを知り、ぽっと灯りがともったような気持ちに。6人の選者の方が12か月分の兼題を次の年が始まる前にあらかじめ決め、毎月全国からの詠草が集まる。その月の選者の方が選歌して、月次歌会で選ばれた歌の講評をするのである。
 ブログでこの歌を公表していいものだろうか。献詠した歌なので自らの歌とはいえ、軽々しく扱えないような気持ちになる。
 月次歌会の当座は「生」であまりいい歌を詠めなかった。
 「生」を詠みこんだ題詠をいくつか記して置く。

 生きている証を冬に残したく庭の水仙ほそぼそと咲く

 さやえんどう摘む媼その輝く生を河瀬直美はフィルムに留む

 傘をさすわれに対してささぬ生 みのげの鷺が魚さがしをり

 今日は昨日と変わって陽射しがあふれる1日となる。ただ、天気予報によると気温が低く、北海道並みだそうだ。
 昨夜はいつもの時間に眠ったが数時間で目覚めてしまい、しばらく起きていて再度眠り、また5時頃目が覚め、再再度眠った。
 起きたのは7時半ごろ、雨戸を開けて庭の高木の乙女椿が目に入り、昨日の歌会での佐伯先生のことばを思い出した。椿は強い植物と話された。
 この乙女椿は10数年前にチャドクガの幼虫にほぼすべての葉を喰いつくされたことがある。1本の椿を食べ尽くした毛虫の大群が民族移動のように列をなして移動しているところをある日わたしは見てしまい、そのことで丸坊主になった椿に気がついた。
 それまで気がつかないことが不思議なほど葉っぱはまったくなかった。いろいろなことがある日常で人はあまりものを見ることなく生きているのだとあのとき思ったことを覚えている。目に入るものしか見ていない。かなり狭い世界の。
 そのような災難にあった乙女椿だがその年のうちに葉が元通りではないが回復して翌年の花は少なかったが、翌々年にはほぼ元通りになったように記憶している。
 その乙女椿はつやつやとした葉を茂らせ薄緑色のころんとしたつぼみをたくさんつけている。ちらほら咲き始めた花もある。「乙女」という名前のやさしさ、花色のやさしさ、花のかたちのやわらかさを超えた強さを称賛したい。