鎌倉で開かれる歌会に行く

 天気が良く絶好の行楽日和の金曜日。
 鎌倉で開かれる「鎌倉花壇さきがけ源実朝公顕彰歌会」に参加した。
 横浜駅でJR湘南新宿ラインに乗り換え、25分ほどで鎌倉駅に着いた。ひとつ前の北鎌倉駅ではハイキング姿の人たちがおおぜい降りた。歩いてお寺巡りをする人たちだろう。
 鎌倉駅はいっそう混雑していた。鎌倉の街を散策したくなるような晴天で、歌会を忘れて街歩きをしたくなるほどだった。
 改札を出たところで武蔵小杉の歌会の仲間と合流し、歌会の前に昼食を食べようということになった。ひとりがこの辺りに詳しく、昔からある鰻屋「茅木屋」に案内してくれたがあいにくと定休日で、表通りを一歩入ったところにある静かな店で蒸し寿司を食べた。
 歌会は鎌倉駅前の生涯教育センターの2階ホールが会場で、1時から始まった。
 歌人松平盟子さんは「戦後女性歌人の半世紀」という講演をされた。戦後から前衛運動を経て短歌の韻律の磁場にしばられる歌から磁場を離れた歌へ変わっていく過程をかなりの速さで話した。短歌の内容も日常の生活の手触りを詠う歌と、現実から離れた世界、より抽象的な世界を詠う歌のふたつの方向があることを具体的な歌人の歌を例示した話した。
 この話を聞いてわたしの中に矛盾があることに思い至った。わたしは後者のより抽象的な世界を詠いたいと思いつつ、日常や生活への視線もあり、このふたつをどのように短歌に定着させるか。
 講演の後は参加者が送った詠草を5人の選者が分担して短く講評した。時間が限られ、最初のほうは一首一首の講評に比較的時間をかけたが後半になると急ぎ足になった。
 わたしの歌は

 魚をとる児ら去りたれば川の水静かに閉ぢてもとへ戻りつ

 こどもたちが川に入り、網を使って魚を追っていたが彼らはいなくなり、「川の水静かに閉じて」という表現はいい。ただ、「もとへ戻りつ」で説明に終わっていると言われた。時間経過やまわりの風景を読みこんだほうがいいのでは、とのこと。
 帰りの電車のなかで推敲してみた。

 魚をとる児ら去りたれば川の水静かに閉ぢて雲を映しつ

 歌会を終え、鎌倉駅の2階にある店で小さな宴を楽しんだ。ビールを少しだけ飲んで、4人だけの早めのミニ忘年会。するとさきほどの歌会の関係者がわたしたちの席の後ろにやってきた。選者の方、鎌倉歌壇の方、松平氏もいらした。打ち上げにこの店を選んだようだ。